五戒

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五戒

霊気を創始した臼井先生は1922年に霊気療法学会を設立したときに、霊気ヒーラーの心の有り様として「五戒」を作りました。全ての文言が臼井先生のオリジナルではないよう ですが(※)、この五戒は霊気の特徴と世界観を良く反映していると思います。内容的には小学生でも分るものですが、簡単さ故に深淵であると思います。

レイキには様々の技巧や手法がありますが、実践を重ねて行くと実は一番大事なのはそう言ったことではなく、ヒーラーの心の有り様だということを痛感します。臼井先生はそのことを完全に理解されており、そしてそれがこの五戒であるということを言いたかったのだと思います。また、普通の人にとっても健康で幸せに暮すためにはこの五戒は必要な要素です。この五戒を守ってゆくことで精神性を高め、それはまたその人のレイキの質や量を良くしてゆくことになります。

一部には「安心立命」が臼井先生の悟りの意味で強調される場合がありますが、これは誤解だと思います。「安心立命」は先生が禅寺に入るときに目指されたことで、霊気をやるようになってからは、安心立命と言うことはとくに出てきません。(詳しくはこちらをご覧ください。)五戒が出来れば、それは悟りの境地に入っていると言えますから、五戒は悟りへ到達するための非常にわかりやすい指針だと思います。

鈴木五戒大正3年(1914)12月発行の鈴木美山博士著「健全の原理」P27に「處世の歌」として載っているものヒントを得たものと思われ、「今日丈けは怒らず、恐れず、正直に、職務を励み、人に親切」と同書にはあります。これは臼井先生がレイキを始める10年近く前なので、これを読んでおられたのでしょう。この鈴木氏の表現は、かなり倫理的なイメージがありますが、五戒はもっとスピリチュアル・霊性的な意味合いに変更されているのがわかります。⇒⇒画像クリックで拡大


 

⇒⇒⇒ 五戒の書の謎(少しマニアックな内容です)

 

以下私が教わって、また自分で解釈しているものです。

今日丈はは全体にかかるとされています。五戒は戒律のようなものではありません。基本的に失敗するということを前提に作られています。今日、うまく実行できなくても、明日になってまた「今日丈は」と思ってやってゆけばよいのです。五戒は今という時間が最も大切であると言えます。

一 怒るな

1日朝起きてから寝るまで、あなたは何回怒りたくなることがありますか。普通の人であればそれなりの回数怒りたいことがあると思います。怒ってイライラすること、相手に当ること、怒った結果が自分にとってプラスになることはまずありません。怒りたくなるようなことがあっても、「今日だけは怒らないようにしよう」と心を静めて、その物事を捉えてゆけば、色々な解決方法が見えてくるのではないでしょうか?しかし、これは五戒の中でも最も難しいモノです。(怒りは感謝が出来ていないと起こりやすいということもあります)怒らないようにするためにお勧めの本があります。

二 心配すな

怒りと共に難しいのが不安ですね。何かあると色々な場合を想像・推定して不安になってしまったり、全く予測できなくて不安になったり、またイヤなことがあるのではないかと心配になったり、様々なことがありますね。相手への不信、自分への不信、いろいろありますが心の持ちようで良い方向が見つかることが多いです。過去や未来にとらわれるのではなく、「今」を生き抜くことも大事でしょう。

三 感謝して

私たちは毎日の生活の中で、色々な人や環境・自然にお世話になっています。とくに毎日のことであれば忘れがちになってしまいます。究極的には自分の存在自体を神に感謝してと言うことから、生命を育んでくれたこの地球への感謝もあります。もっと身近には朝起きたときの綺麗な空気や光、木々の緑、そう言った存在するもの全てへの感謝が含まれます。また非常に様々な人に対しても直接・間接お世話になっていることをつい忘れがちになってしまいます。

四 業をはげめ

何か自分として仕事でも趣味でも何か探求するものを持ちなさい、そしてそれを通して社会や他の人のためになりなさいと言うことです。人は常に自分を向上させてゆくことで心身にプラスになります。完全な人はいないです。不完全だからこそ生きている価値もあるわけです。不完全さを認めて、そこから向上させてゆくことがイキイキと生きることだと思います。

日本人自身は気がついてないのですが、実はこの「業」という概念は日本特有の概念で、外国語に翻訳することが出来ません。英語の場合は、work, task, duty 等と翻訳されることが多いですが、それがもとのニュアンスと違うのは日本人でしたらわかると思います。

つまり、日本人と外国人では「働くこと」にたいするイメージが、かなり根本的に違うのです。日本以外では「仕事=つらい」「仕事=出来ればやりたくない」「仕事=限られた時間で充分」「仕事=労働」「仕事=金儲けの手段」などなど、出来るだけ避けたい方向性を持って捉えられる事が多いのです

一方、日本人は大昔から「仕事=生き甲斐」「仕事=自分の道」「仕事=社会貢献」「仕事=自分の存在意義」など、仕事(業)を生活やの大事な一部と考えて、しっかりと仕事をすることが自分の人生で大事なテーマとして捉えてきました。ここで言っている「仕事」は、家事や育児も含みます。自分が社会やグループの中でなすべきこと、他人や社会に貢献できることです。日本人の仕事(業)に対する姿勢は、大変に崇高なものがあるのです。それを戦後になって、「日本人は働き蜂」とか、「enonomic animal」とか、「仕事中毒」とか、大いに揶揄されて、まるで狂っているとか、野蛮なように解釈されて来たのは、まさに戦後に洗脳されてしまって結果です。

「業」は、日本人の人生に対する真摯な思いや願いを反映しています。仕事は、やり甲斐のあるに越したことはありません。人生で業に打ち込めれば、そんな素晴らしいことはないではないですか。日本人は昔からそれが良くわかっていたのです。欧州のように、出来るだけ「労働」時間を短縮して、出来るだけ休日を多くして、バカンスを多くして、「余裕」のある生活をすることが、先進的であるというのは、欧米の「労働」という概念に毒された結果だと私は思います。

業をはげむこと、これは日本がもっともっと誇りに思って、海外へ発信してゆくべき、大事なことではないでしょうか?

五 人に親切に

一~四まで出来ていればこれは難しくないでしょう。まず自分の身の回りの人の立場になって考え、親切にしてあげましょう。妊婦さんやお年寄りに席を譲ることさえも、言われないと出来ない昨今です。ヒーラーであれば進んでそうしてあげたいですね。ここで言う親切は”行為”だけを意味するわけではなく、人のことを思いやる気持ち、気にかけてあげる心、優しい言葉をかけてあげる、など色々な形を意味します。これは、人のためでもありますし、自分の心の有り様として大きな影響があると思います。

 

自分の場合

五戒が難しいのはまず夫婦の間でしょうか(冷汗、難しいと感じているだけでも救いがあります(笑)。 「怒るな」:ついつい、何かと怒ってしまいがちです。何で理解してくれないのとか、何でこれやってくれないのとか・・・。難しいです。「感謝して」:家事や子育てをしていることに対して、ついつい感謝を忘れがちです。これはもうほんとにそうです。

「感謝して」というのは自分の過去の仕事してきた環境を振り返ってみると、当時は必死でやっていたから気がつかなかったのですが、今思い返してみると本当に色々な人にお世話になり、サポートしていただき、寛容に受け入れていただき、ものすごく感謝しなければならないのに出来ていませんでした。

「心配すな」というのはやはり自営の事業の面とかでは難しいです。心配したくないから必死でやってしまうという面もありますね。

「業をはげめ」これは比較的得意な分野です。でも、まわりに迷惑をかけてしまう場合もあります。人様のためになっているかというのがポイントでしょうか?

「人に親切に」一応やっているつもりですが、自分が興味のある分野だけかもしれません。もともと人付き合いとか近所づきあいとか苦手なほうなんで、うわべだけになっているかもしれません。

それから、この五戒と並んで、伝統霊気で重要視されていたのは、明治天皇の和歌「御製(ぎょせい)」でした。
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