レイキ雑感他のページに分類出来ない部分を
|
|
|
スタンダードポジションのことは以前から書きたかったのですが、やっと時間が出来ました。西洋レイキではレイキを使うと言うときに、まずスタンダードポジションが思い浮かぶようになっているようですが、これには良い点と悪い点があります。私なりの考えをまとめてみました。 ◎功の部分 高田はわよ先生以前の伝統霊気では、スタンダードポジションというものがありませんでした。ポジションという概念自体がありませんでした。霊気をするときは、具合の悪い部分に手を当てるか、病腺を手がかりに探していって、病腺のある部分に手を置いて行きました。前者は具合の悪い部分が分っているときは使いやすいですし、日常の生活で気軽に使って行くためには非常に良い方法です。ただ、本格的に霊気するためには、病腺が感知できることが必要ですし、症状のない部分の病腺を探す必要があり、この点は練習や経験が要求されます。高田先生は林先生の治療所で1年間の修行をしましたから、この点は熟知していたはずです。 スタンダードポジションを発明したのは高田先生です。高田先生の教え子のJohn Gray & Lourdes Gray著「Hand to Hand」には『高田先生は臼井・林靈気を学び実践したが、林先生の手順では欧米の生徒にとっては繰り返しが多く、混乱を起こすと気がついた。高田先生は、体の一定の場所に霊気を流すと、林先生が行っていた複雑な手の置き方と同様な効果が得られることを発見した。高田先生は林先生の多くの手の置き方を統合し、標準化し、どの霊気施術も同じになるようにした。高田先生はこれを[基礎トリートメント]と呼び、学習するのが遙かに容易になった。これが高田先生の才能の現れで、レイキに対する重要な貢献である。』とあります。 当時の高田先生のスタンダードポジションは、頭ではなく、お腹からスタートしていました。この様にスタンダードポジションを使って、アチューメント講習を受けたその日から、誰に対してもなんの知識もなくても、一定のレベルのレイキトリートメントが出来るという事になったわけです。特に、スタンダードポジションはヒーリング的な目的で全身に作用させたり、ホリスティックな意味合いで全身のバランスを整えたり、時代の流れにもマッチして急速に浸透してゆきました。 ◎罪の部分 まず問題は高田先生が病腺を中心とした施術法を欧米に伝えなかったことです。スタンダードポジションがまるで万能のように扱われた点も大いに問題です。スタンダードポジションは初心者でも本格的なヒーリングが出来るのは良いのですが、施術や治療という点では非常に不十分です。スタンダードポジションが全盛になってしまったせいで、レイキをやる大部分の人たちの施術のレベルが初心者止まりになってしまったとも言えます。レイキは効果が出ない、とかレイキはヒーリング程度にしか使えないと言っている人たちは、このスタンダードポジションの効果しか知らないからではないでしょうか。 そもそも、西洋医療で実現できない、代替療法の真髄は、Individual Prescription つまり個別対処にあります。個人個人の症状や性格、特殊性・個性を反映させたセラピー・施術こそが、西洋医療を補うことが出来ます。スタンダードポジションはそれを捨ててしまったという大きな罪があります。今日、多くのサロンで「レイキヒーリング」と称して行っているヒーリングは、単に型どおりのスタンダードポジションをするというケースが目立ちます。初心者でも出来ることを、そのままお金を取って行っているのは情けないことではないでしょうか。 多くのレイキのスクールや書籍では、レイキを送る=スタンダードポジションのように非常に画一化して教え、中には1か所で○○分と細かく指定して教える教条的な事も行われています。手を置く場所を厳格にしたり、順番を厳格にしたり、中にはスタンダードポジションは一旦スタートしたら途中で中断してはいけないと教えているスクールもあります。これはレイキの手軽さや日常での使用法を大きく狭める大罪ともいえる結果を生み出しています。こういった形で学んだ生徒さんは、レイキを使うときは常にスタンダードポジションをしないといけないような気持ちになり、日常での使用を非常に阻害しています。 スタンダードポジションは初心者でも簡単にできるという面は確かにありますが、実はこれは実践してみて初めて分る事ですが、スタンダードポジションはレイキを送る人にとっては姿勢的に案外と不自然でやりにくいのです。スタンダードポジションは効率を上げるために、大体いつも両手を使いますが、これはやる人は案外と姿勢が疲れます。だから、スタンダードポジションにこだわると、なおさら日常で気軽にレイキが使いづらくなるのです。 ◎まとめ もともとスタンダードポジションは全くの初心者でも、全身のホリスティックなヒーリングができるというメリットで導入され、浸透しました。まったくの初心者に「さあ、手を当ててごらん」と言っても、非常に戸惑いが大きいです。そこにガイドラインを提供したのは大きな意味があります。初心者でもホリスティックに一定の結果を出せるのは素晴らしいことです。 しかし、その一方で、スタンダードポジションは「手当て療法」という非常にシンプルで日常的なものを複雑化して敷居を高くしてしまったという罪があるのです。スタンダードポジション以外を知らない人たちは、そのままそのレベルに留まってしまうという「レイキヒーラー総初心者化」ともいえる罪を産んだと思います。そして、相手の状態も感知せず、自分の直感も有効に使わない画一的なヒーリングやセラピーを蔓延させたともいえます。 知識や経験がなくても出来るというのは大事ですが、それと高度なヒーリングやセラピーを維持するというのは、矛盾する部分もあるようです。わたし自身はスタンダードポジションそのものを否定するつもりはまったくありません。セラピーやヒーリングの雛形として、実際に頻繁に使っていますし、初心者の方には有効なガイドになります。私の場合は受け手の状態に合わせて、スタンダードポジションの場所を変化させたり、順番を変化させたり、部分的に使ったりして、それに病腺感知を組込んでセラピーしています。ただ、今日の書籍やスクールは極めて画一的なスタンダードポジションに固執して、レイキの効果や可能性を大きくつみ取ってしまっているといえます。スタンダードポジションの柔軟な使用をすることが、レイキの可能性を広げてゆきます。 |
|
|
病気について
「病気を怖い」とか「病気は邪悪」という印象を持たれる場合があると思います。レイキ"マスター"や"ヒーラー"の中には積極的に病気は邪悪だとか、結界を張らないとイケないとか、ネガティブなことを教える人もいます。病気には人を死に至らしめるものもありますので、この様な印象が生まれても仕方のない面もあるとは思います。 実は病気は生と死と同じように、小さなものは私たちのまわりに日常茶飯に起こっていることです。生死で言えば、細胞や菌のレベルになれば毎日膨大な数のものが生まれて、また膨大な数のものが死んでゆきます。生きものレベルでも小さいものになれば生と死は普通の営みとして行われます。私たちの体はまったく病気をしないように作られているのではなく、病気が起こったら治るように作られています。体の不調や疲れ、それは病気の始まりです。マクロなレベルで病気が起こっているのです。細菌やウイルスはどんどんどんどん体内に入ってきています。免疫細胞がそれと戦っているので、必ずしも病気としては出てきませんが、毎日体の中で膨大な戦闘が行われているのです。小さい病気は私たちの体で毎日起こっていることです。通常は自己治癒力が働いて表面化しないだけです。それから、病気は起こらなければなりません。つまり体が病気を治すためには、体が病気の状態を経験していなければ対応の仕方を生理的に学習できません。(遺伝子レベルでこれを知っている場合もあれば、後天的な免疫として身につける場合もあります)たまに体が病気を経験することで、それを直そうという自然な訓練になるのです。消防訓練をしていないのに、いざ火事になっても体はどうしたらよいか分りません。普段、消防訓練をしているからいざというときに病気に対処できるのです。整体を生み出した野口晴哉さんの本で「風邪の効用」というのがあります。風邪を引くことは体に良い作用があるという考えです。 それから病気は私たちにたいする体からのメッセージです。私の体は環境や食べ物が自然であれば、また社会的な環境が良好であれば、自然に病気を治せるように作られています。自然に直せなくなってしまったときは、それは何か生活の中(ものの考え方も含め)に問題があることを教えてくれているのです。ですから、病気になったときは「これはありがたい、自分が気がついていない何かを教えてくれようとしているのだ」と受け止めて、病気から学ぶ姿勢が必要であると思います。 レイキを実践していると、強いヒビキを感じて心配になるかたもいます。「怖い」「邪悪」等の心配が起こる場合もあります。まず、私が強調したいのは、ヒビキを感じることが出来るのは「人の辛さや痛み」を理解できるということです。そもそも他人の辛さや痛みを感じることは、非常に難しいことです。それが少しでも出来るようになると言うことは、それはとんでもなく素晴らしいことなんです。レイキを習った奥様が、普段から「疲れた」とか「辛い」とか嘆いているご主人のヒビキを強く感じて、「あー、普段から口に出していることは本当なんだ」と感覚的に実感でき、ご主人への理解が変るという例もあります。私がレイキをしていて、強いヒビキを感じると「あー、そうなんだ・・・」と「うーん、そうか・・・」と相手の状態への理解が起こります。 また、「悪いものをもらう」という考えや言い方をする人がいますが、それはその人が相手や病気に対する恐怖心を持っていて、自分に対して自己暗示をかけてしまうに過ぎません。また、健康であるということと病気であるということに絶対的な違いがあると勘違いしてる部分もあるでしょう。相手と自分は違っている、病人は別物だ、という認識は誤解を生みます。病気という現象ばかりに着目していると、その状態になっている本人のことを忘れてしまいます。病気、病気と意識してばかりいると、その病気になった人を特別視して、場合によっては差別に繋がります。「こんな病気を持っている人はイヤだー、近寄りたくない」と感じるのは、その人そのものを見ていないのです。病気と健康に絶対的な分断があるわけではありません。病人と自分にも絶対的な分断があるわけでもありません。病気をみるのではなく、その状態になってしまっているその人そのものを見るようにするべきでしょう。 病気そのものに邪悪性があるのではないでしょう。その病気を起こす、原因となった私たちの考えや行動にこそ邪悪性があるのではないでしょうか。この世の中で何が一番怖いか、何が邪悪かというと、人間の考え、恨み、行動、そういったものが何よりも怖いのです。幽霊とかを怖がる前に人間の邪悪性のほうがよっぽと怖いと思います。そして、病気は邪悪だと教えて、他人に恐怖心を起こすその行為や考え方そのものに邪悪性があるのです。もちろん、病気には人を死に至らしめるものもあります。しかし、その場合も恐ろさはその病気そのものではなく、その病気に至らしめた考え方、行動、環境、社会の歪みなどなどにあるのではないでしょうか。 |
|
| 時間というもの
この雑感の「一個所5分」のところにも書きましたが、私たちの時間に対する価値観というのは、なかり特異というか、歪められているというか、そういう風に感じる時が多くあります。レイキを続けていると、そういうことを身にしみて感じることがあります。 何かをやるときに「早いほうがよい」「速く進むほうがよい」「早く終わった方がよい」というのは、無意識的に私たちの生活の中に染み渡っている価値観です。この考えがスタートするのはやはり集団生活で、いつの間にか「早い=良い」「早い=優秀」という価値観を子供に植え付けているからです。そしてそれは同時に「遅い=悪い」「遅い=無能」というレッテルを他の人に貼ってゆくことにもなります。子供が何かをするのに時間がかかると「この子はなんてのろまだろう」とか「グス」だとか、「頭が悪い」とか、大人は直ぐにそう思ってしまいます。 大人になって人生を振り返ってみれば、過去になにか物事が早く進んだから良かった、ということが本当にあったと思いますか?私はほとんどないと思います。時間がかかったらそれは本当に良くなかったということがどれだけあったのでしょうか?自分が何かを始めて、非常にパッと出来てしまった、それって何か得るものが多かったですか?簡単に早くできてしまうものは、おそらく自分に対する影響も小さく、記憶もあっという間に薄れてしまってはいないですか? 本来は時間というものは、宇宙のリズムです。地球が太陽のまわりを回り、自分で自転し、月が地球のまわりを回りと、それらが私たちの生命に組込まれた時間のリズムです。自分で感じることの出来る時間の最も重要な要素は、朝起き、夜寝るという一日の流れです。宇宙のリズムを感じて生きて行ければ、本来は一分や、一時間なんて単位はあまり大事ではないのでは、っと私は思うのですが。 それから時間の流れというのは人によって全く違います。同じ行為を行っても、それを行うスピードは人によって全く違うのです。歩く速度も違うし、字を書く速度も違うし、考える速度も違います。目をつぶって5分たったら目を開けなさい、といわれたら、それはその人の肉体的・心理的な状態で大きく個人差が現われます。人の自身の中では、時間の流れは個人個人で違うのが自然なのです。同じ人でもTPOで時間の流れは全く違います。1人1人の中ではその人特有の小さな宇宙があるからなのです。本来の有機的な時間は、先述の宇宙のリズムをベースにした大宇宙の時間の中に、各個人の小宇宙の時間が絡み合って成り立っているのではないでしょうか。 なぜ時計というものがあるのかといえば、それは社会生活のためです。各自の中には小宇宙の時間のリズムがありますが、それは一人一人違っていますから、共同の社会生活を営むためには不都合が生じることがあります。そのために、小宇宙のリズムと独立な時間のスケールが必要になってきます。本来はバラバラである各自の時間のスケールを、一つの尺度に強引に合わせようとしているわけです。これは社会生活を営むためにはある程度はやむを得ないでしょう。 この社会時間だけでしたら問題はありませんが、これに価値観が結びついたのが今日の問題点です。これはおそらく商業的なものが原因かもしれません。つまり時間がかかるほど経費がかかるということです。時間が少なければ人件費がかからず、光熱費も少なくなる。同じことをするのに長く時間がかかれば、それだけもうけは減りますから。(本当は、厳密には別な人が同じことをするなんてあり得ません。単に、商業的に同等な結果を生むという意味ですが。)速いほうがよい、早く終わった方がよい、というのはやはり近代的な商業社会が生み出している価値観だと思います。 そして、もっと直接的には子供が「競争」を体験させられることによって、この時間の価値観の洗礼を被ります。幼稚園ではそういった競争は避けている園もありますが、小学校に入れば100%、頭の天辺から足の先まで競争で染められます。もし時間内に何かできなければ、劣等感を植え付けられるし、テストでも時間制限があります。もちろん、人に何かを約束したら期日までに完了してあげるという社会生活に必要な面は必要ですが、現実はそれを遙かに超えています。私たちの「早く終わった方がよい」という価値観は小さい子供の頃に植え付けられたものなのです。そして、この価値観を一生自分自身に適用してしまうと、おそらくは辛いことになると思います。 っと、この様に書くと私が時間に寛容のようですが全然そんなことはありません(笑)。駅で機械で切符を買うときに、前の人がモタモタしていると即座にイライラ来ます。最近はSuicaのおかげでイライラがなくなりましたが(笑)。それから、駅周辺で自分の前をゆっくりと歩いている人にもイライラします。電車も数分以上は待つのが苦痛です。東京育ちはこうなるんでしょうか。でもセラピーやヒーリングをしているときには、相手の小宇宙のリズムに心地よく同調できます。 |
|
| 手の温度、冷え症、レイキについて
これから徐々に寒くなって行きますね。手の温度や冷え症とレイキの関係?について日頃気がついた事をまとめておきます。 受け手がレイキを感じる感じ方というのは、やはり一番多いのは暖かさだと思います。レイキを知らない方や良く理解していない方は、その暖かさが単純に手の温度を感じているだけだと誤解されている場合があります。特にレイキが出来るようになると、一般的には手が温かくなることが多いですから、私もレイキを始めた当初は、レイキって単に送る人の手の温度をエネルギーだと錯覚しているんじゃないのと自問自答したこともありました。 レイキを実践していって、なんとなく(笑)そうじゃないんだと分っても、多少のモヤモヤがあったりしました。これがハッキリと分る機会がいくつかありました。一つは相手の額が自分の手よりも温度が高い場合です。その時は、額に手を近づけただけの段階では受け手は暖かく感じ、更に手が額に接触してしまうとすこしヒヤと感じるというのを受け手の方に指摘されて、そうだそのはずだと納得しました。それからもう一つは極度の冷え症の方からレイキを受けたときでした。この方は本当にすごい冷え症で、アチューンメントを受けると普通はそれなりに手が暖かくなるのですが、この方の手はとても冷たいのです。ところが、服の表面の繊維に触るぐらいに手を置いてもらうと普通の人にレイキをしてもらったときのように暖かいのです。でも、ちゃんと手を置いてもらうとヒヤッとします。実際に手を触ってみるととても冷たいのです。でも、直接触らなければ暖かく感じるのですね。これはまさにレイキが手の温度ではなくて、受け手が暖かいと感じるエネルギーだというとてもハッキリとした証明でした。 ですので、手が温かくならないからといってレイキが出ていないのではないかと心配する必要はないということです。それと、手の冷たい方へのアドバイスですが、もしも手が冷たいまま、あるいは暖かくない状態でレイキをする場合は、相手への触れ方を調整してみてください。服に触れるか触れないかの感じで手を置くと、相手はレイキのあたたかさだけを感じることが出来ます。 それでもセッションをするときは手が温かいほうがやりやすいですから、次の方法を試してみてください。(1)発霊法を行う、これは普通の合掌だけでも効果がありますが、合掌呼吸法がよろしいでしょう。(2)レベルⅠで教えている安らぎ瞑想をします。(3)乾浴、レイキシャワーなどをすると気持ちが切り替わって、手へのレイキの流れが良くなり暖まることがあります。1分程度の短時間で暖めたい場合は、最初にお湯で肘から手を温めてから上記の方法を併用すると反応が早いです。それからこれは少し強引な方法ですが、仙骨や背骨にホッカイロを張っておくと改善しやすいです。手が冷えるときは、小さいホッカイロを脇の下に張っておくのです。冷え症だと末端の毛細血管が縮みっぱなしになってしまって、ちょっとそっとことでは開きにくくなりますので、こういったポイントをホッカイロで暖めて一度毛細血管を開かせてあげると、改善しやすくなる場合もあります。 冷え症に関してですが、非常に多くの割合の女性が冷え症で悩みます。足や手が冷えているからといって、単にその部分を暖めるのでは大きな変化は起こりません。冷え症は末端の症状ですが、その原因は身体の方にあります。特に足の冷え症は、腹部の代謝が落ちている場合が大部分です。お腹の血流が滞って、血流が足へ行かないのです。特に腹部から鼠径部にかけてが滞りやすいです。婦人系のトラブルや便秘などは冷え症も伴っているケースが多いです。冷え症と感じたらまず腹部と鼠径部にレイキをするのが良いです。そして本当は腹巻き(最近ではインナーとも言う)をすると非常に効果的です。かっこわるい気がしますが効果はとても高いです。そして、鼠径部が良くなったら、今度はヒザ裏、そして足首と順々に上流から末端へ向かってレイキをポイントポイントで送って行きます。滞りやすい鼠径部、ヒザ、足首を活性化して行くのです。これで足まで温まって行きます。あるいはヒザや足首にレッグウォーマーをするのも有効です。腕が冷える場合は、鎖骨や脇が滞っているためですので、そこへレイキをします。寝床に入ってからの短時間や、電車に乗っている間とかに、鼠径部やお腹にレイキをするだけで冷え症が大幅に改善した人も結構います。 私の経験では、同じ姿勢でジッとしているのは冷える要因のようです。特に冬のコンピューターワークは冷えて身体に良くないです。 冷え症で困っている方で、湯船に入らずシャワーですます方も見受けますが、これも状態を悪くしています。お湯はぬるめにして、長く入るのがポイントです。のぼせてしまう場合は窓を開けて、胸や頭は冷やします。あるいはお湯の量を少なめにします。お風呂は暖まるという意味合いよりも、高ぶった交感神経を押さえて、副交感神経を働かせるのがポイントです。 それから食事はゆっくりと取ります。急いで食べてしまうと、これも副交感神経が働く前に食事が終わってしまいます。特に、お昼休みをほんのわずかの時間ですませてしまって仕事をしている人は陥りがちです。タバコはもちろん良くありません。タバコは血管を収縮させますから、冷え症を悪くしているだけです。 その他に冷え症に極めて効果があるのが短時間のジョギングです。汗をかく寸前の10分間ぐらいのジョギングで十二分に効果があります。特に外気の寒くなるこの時期に行うと、肌は寒い空気に慣れるし、普段血の通っていない末梢の毛細血管が開き活性化されます。1回ジョギングをすると2〜3日は暖かでいられます。冷え症に悩まされている方にはとてもお勧めです。 冷え症はレイキが得意とする症状の一つです。冷え症気味の方はこの冬レイキを活用するとても良いチャンスです。また、レイキを使って行くこと自体でも冷え症を改善する事にもなります。是非、いろいろ試してみてください。 |
|
| 一個所5分
私個人は西洋レイキはそれほど嫌いではないというか、その女性的な面や癒しの面は現代人にマッチしていると思います。ただ、西洋レイキの中にはどう考えてもオカシイと思うような要素がたまに見られます。「一個所5分」というのはまさにその最たるもので、これは早急に是正されてゆかなければならないものです。 典型的な西洋レイキのスクールや書籍では「スタンダードポジション」を教えて、一個所あたり5分手を当てるという風に教えます。これをそのまま鵜呑みにすると、本来のレイキからするとこれは極めて重大な誤りを生みます。それを以下に説明します。
以上のように、スタンダードポジションで一個所○分と決めてしまうことはなんの良い面もありません。こういったことは早くなくなって欲しいです。 |
|
| 皇室と霊気
私がセミナーで教えていていつも密かに自問自答していることに、皇室の霊気との関係は、過去、そして現在においてどうなっているのだろうという疑問です。情報が全くないということは、実際に全く関係がないのか、それともコントロールされているかのどちらかなのかもしれません。 もともと手あて療法ということであれば、昔のイギリス王室でロイヤルタッチによる治療が行われていたという事実もありますし、実は日本でも同じように明治天皇が手かざしによって、女官30名以上の病気を治癒したというのが側近の談話としてあったという話もあります。皇室と手あて療法は親和性が高いのではないでしょうか。 霊気は当時はかなりの社会的認知を得ていましたし、海軍とのつながりも強かったですし、林先生の時代には皇室の女官が霊気を受けていたとの記述もあります。私としてはこの時代に皇室の中で霊気あるいは手あて療法が何らかの形で行われていた確立は非常に高いと感じています。皇室では、日本の古来からのものや習慣、行事などを温存していますが、霊気がそういったものの中に取り入れられてもおかしくはないと思いますが、どうなんでしょう。 もう一つの切り口として私が気になるのは、日本の皇室は英国の皇室と比較的よい交流をしているということです。英国といえばレイキの認知度は極めて高く、例えばバッキンガム宮殿に隣接している日本庭園ではレイキのセミナーを定期的に実施しているようですし、タブロイド誌の記事ですがチャールズ皇太子がレイキを受けるのが好きとか言う話もあります。実際にチャールズ皇太子は代替療法に関しては非常に積極的で、演説などもされています。現皇太子、当時の浩宮様は1983〜1985年に英国留学をされていますが、この時期はレイキが広まっていった時期でもあり、日本からのお客様に「レイキってしっている?」っていう話が出ない方が不思議とも思います。浩宮様はその時にアチューンメントを受けられてなんて可能性も皆無ではないと思うのですが。私の妄想でしょうか(笑)。 |
|
|
レイキの歴史を勉強していて、どうなのって?思うことは幾つかあるのですが、臼井先生が霊気を発見してから亡くなるまでに、実に4年の短い間しかなかった事です。4年というのは本当にあっという間です。臼井先生はたぶんそれまでに膨大な人生経験をなさっていたことは間違いないと思うのですが、それでなければぱっと霊気を立ち上げて、膨大な数に方に伝えてゆくというのは難しいでしょう。彼のたった4年間の活動が、その後の80年間、そして全世界の何百万人へと広がってい行く基礎を築いたと考えると、実に驚異的と言わざるを得ません。 その点と関係しているのかも知れませんが、様々の本には臼井先生は病気でなくなったと書いてありますが、いったい何の疾患で亡くなったのかどれにも書いてないです。霊気を創始するほどの人でも疾患にかかるのかという疑問と、なぜその病気のことが書いてないのかという疑問、疾患にかかって治療はどうしたのかという疑問、それらが色々と出てきます。 ただ4年間しかヒーラーとして生きなかったというのは、ちょうど適度なカリスマで終わって良かったという面もあるかも知れませんし、逆にうまく神格化されて良い印象のまま亡くなったという側面があるのかも知れません。臼井先生は自分はもう必要ないと感じ取られて逝ったのかも知れません。 |
|
|
よく「私は悪い気をもらいやすい体質で・・・」と言う表現をしますが、これを持ってレイキを薦める理由にするのがこの業界の慣習になっているようですが、これは歪んだ理解だと思います。もちろんレイキを身につけることで慈愛に満ちたレイキを流すことが出来るので、相手の影響を受けにくくなるという面では正しいのですが、かなりのレイキマスターが誤解していることがあります。 「もらいやすい」というのは実は能力なのです!もちろんきっかけとしては相手の辛い状態や悲しい事を聞いたり、目の前にしてそれに引きずられてしますのですが、それはあくまできっかけで、実は「もらった」という状態は無意識に遠隔でつなげてしまってる状態なのです。これも誤解しているレイキマスターがいますが遠隔はレイキとは直接の関係がないというか、遠隔ということはレイキよりもづっと広い概念なのです。遠隔で人とつながるために必ずしもレイキが必要なわけではないのです。サイキックになればリモートセンシングという能力になりますが、これは実は本当は多かれ少なかれ誰にもで備わっている能力なのです。「もらう」というのはこの潜在能力に優れた人が無意識のうちに遠隔で他に人につなげてしまってる状態なのです。 「もらいやすい」という方は実は、無意識でコントロールできない状態でつなげてしまっているので困ってしまうのですね。でも、それは能力だと教えてあげて、それを使って相手にヒーリングが出来れば素晴らしいと思いませんか。こういう力の高い方はレベルⅡを受けなくても、相手とつながりレイキを送ることが出来ます。 私はいわゆる霊感は全くないつもりですが、こういう私でも「もらう」という場合があります。最初にそれを経験したのは父親の施術をしたときに「何とかよくしてあげたい」「何とか少しでも良くならないか」という意識が強かったです。たぶんレベルⅡを受ける前だったように思います。この時はアロマとレイキを併用したのですが、翌日父親とまったく同じところに痛みを感じてきてしまって少し焦りました。そういうことが2度ほどありました。あとは子供の風邪の症状が極めて悪く疝痛や悪寒を感じているときにレイキをすると施術しているときに少しの間、自分の体にも痛みを感じたり悪寒を感じたりします。またガン患者さんのレイキを長時間したあとに、終わって離れてしまってからその方が感じていた痛みが自分の同じ場所に少し感じることがあります。これらは「もらっている」のではなく、無意識にコントロールしないかたちで遠隔でつながっているだけなのです。これらのことを知らないと「げー、もらっちゃった」ととても心配になりますが、レイキを知っていれば何でもありません。レイキⅠが使えれば「おー、シメシメ!これは遠隔のチャンス!」と喜んで自分を媒体にして相手への遠隔ヒーリングが出来てしまうのです。 もちろんレベルⅡではシステマティックに遠隔ヒーリングの手法を学びますが、「もらう」イコール悪いではないということを知っていただきたいです。 |
|
| 私のレイキ体験 (以前別のページに書いてあったものです) 私の最初のレイキ体験はとても薄いところから始まりました。当時は私は全く別な仕事をしていて、アロマとかヒーリングとか全然無縁の世界にいました。私の元妻はそういうヒーリングや精神世界が好きで色々受けていました。僕自身は不思議なものは嫌いではなかったので傍目で見ているだけでしたが特別拒絶するわけでもありませんでした。ある時「レイキの講習(ティーチャーまで)を受けたい」と言われてこれこれのお金がかかるけれど自分でお金を出すから受けても良いかという相談を受けたのがレイキと言う言葉を聞いた最初です。彼女は今は吉祥寺にある某Vというところでアチューメントを受けました。でもその後で特にレイキが家庭の中に入ってくることはなかったです。 その経験があったせいか、セラピストとして活動し始めてからレイキという言葉をどこかで聞いた時には全く違和感はありませんでしたし、うーんあれって何だったのだろう、っと気になり始めました。たぶん本屋で精神世界かセラピーのセクションでレイキの本を見たのがきっかけで、それを買って読んでみました。もともと宗教とか組織とかそういうものが一切嫌いな私としては、レイキの基本的な思想や発想はとても健康的に思えました。ただその時の自分はとても懐疑的でしたので飛びつくという感じでは全然なかったのですが、「うーん、これは一度受けて確かめてみなければ・・・」と思ったわけです。それでネットでいろいろ探して安そうで営利的でないところへ行って見ました。懐疑的な自分としてはレベル1だけ受けて様子を見てみたかったし、レベル2は時間を空けたほうがよいと本にあったのでそのようにしました。 レイキI の体験はとても素晴らしいものでした。その日のアチューメントは3回+遠隔1回だったのですが、何回目かの時に肩に手を置かれたときにとても暖かいものを感じて、なんだか「今までそんなに頑張ってきたけど、そんなに一生懸命にならなくても大丈夫なんだよ」という暖かさと言うか赦しというかそういうものを感じたのです。それで涙がどんどん出てきてしまって、恥ずかしさが全然なかったのが不思議ですが、気持ちのよい涙でした。そのアチューメントは15人ぐらいの方が来ていたのですが、お互いにペアになってヒーリングの練習をしました。 教科書的には21日間の浄化期間としてセルフヒーリングをやることになっていますが、私は特にそれは意識せずに、自分のアロマトリートメントのセッションにどんどん取り入れてゆきました。最初はレイキの流れなんて良くわからなかったのですが、なんとなく実感出来る様になってきました。アチューメントを受けたときの教科書で教えていただいた発霊法の練習がとても役に立ちました。実際、アロマでレイキを併用すると効果が高まりますし、リラクゼーション効果もあります。また、以前よりも自分の手が暖かくなるはとても実感しました。(暖かい手はセラピストとしてはとても大事で、これは他のセラピストさんも同じようにレイキアチューメントの結果として現れています。)自分の心を整えると言う意味でもとても大事な働きがあると思います。 レイキが出来る様になって何よりも嬉しいことは、自分の家族にヒーリングしてあげられるようになったことです。怪我をした時、頭が痛いとき、お腹が痛いとき、などなど。もちろんアロマセラピストとしてアロマの処方はしますが、アロマを使わないでレイキだけやって短時間で効果が出ることもありその効果は実感しています。特にレイキはアロマが適用できない医師の管理化にある方とか、弱っているご老人とか、そういう方にも適用でき非常に使用できる範囲が広いです。レイキの良いところは絶対に処方的にならないで、愛情を持ったヒーリングになることです。いわゆる処方的医学とは対極のところにあります。アロマでも愛情を持って適用することは当然ですが、レイキのヒーリングはまず愛情が前提です。愛情を持って相手にタッチングしてヒーリングすると言うのは何者にも替え難いほど無限の価値があります。レイキは全てのヒーリングの原点だと言う気がします。 レイキIIはレイキIを受けてから5ヶ月ぐらい後に受けました。レイキIIでは三つのシンボルとマントラを教わりますが、私には非常に技巧的に見えました。使い方もかなり複雑で、習得するにはかなり大変そうな感じがしました。私自身はその時シンボル・マントラは本質的なものではないと感じたのですが、講習の中で臼井先生はシンボル・マントラはあまり神聖視せずに、あくまで補助的なものであり、レイキを完全に習得すれば「シンボルを落とす」と言う表現をして、必ずしも使う必要がなくなって行く、と言っておられたという事を聞き、「あっー、この人はやはり凄い人なんだなァ」と改めて感じました。臼井先生は非常に色々な事をよくわかっておられたと思います。この時のアチューメントでは時に感じたことはありませんでした。 レイキIIIはレイキIIを受けてからほぼ二年後に受けました。この間かなり長い期間が経っていますが、自分の中ではレイキは日常の不可分のものになっていましたし、自分の理解も深まっていたと思います。レイキIIIではアチューメントを受けている時に、これまで以上に霊気の流れが頭から肩、肩から体全体へと流れてゆくのが実感できました。特に足を触られる直前では霊気の暖かさが体全体に貯まっている感じがしました。実はこのアチューメントの時は背中がとてもこわばって痛いぐらいの感覚が3回のどのアチューメントでもあったのです。で、なんと次の日から背筋が気持ち良く伸びるようになったのです。実は私は少し猫背で、セラピストとしては直そう直そうと思っていて、アレキサンダーテクニックを受けたり、歩き方を較正したりして、少しは努力していたのですが、自分で意識するとどうしても自然な感じではなくて力が入ってしまって不自然になるのです。でもレイキIIIを受けた翌日、(もちろん意識はするのですが)とても自然な感じで背筋が伸びて、違和感のない気持ちよさがありました。これはとても驚きました。同じ回にレイキIIIを受けた方で僕と全く同じ体験をされた方が他にもいた事を知ってさらに驚きました。 |
|