雑感: 私の個人的な介護体験です

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まえがき

クライアントさんや受講生の方から、介護で疲れる、介護のストレスで深刻な病気になる、生活が一変してしまう、などなど介護の辛さや難しさは、お話としては、つね日頃伺っていました。ですので、自分でもいつかそういう時期が来るだろうと思ってはいました。
今の香りの森の場所も、いざとなったら実家へ通える場所というのを想定して、今から10年前に決めたわけです(自転車で20分ぐらいの距離)。今回やっと、その介護の体験が始まりましたので、自分の記録としても、また他の方の参考になるかもと思い、ここに書き残しておきます。

前もってお断りしておきますが、この文章は万人が読んで心地よくなるものではありません。私の個人的な、辛辣なコメントも出てきます。ですので、人によっては読まれて不快に感じる場合もあるのを、あらかじめお断りしておきます。前もって、お詫びをしておきます。

また、かなりの長文、そしてかなりの乱筆ですので、それもあらかじめお断りしておきます。正直、自分のガス抜きとしても書いています。そういった点ご了承のうえ、お読み下さい。

そもそものきっかけ(~2012年秋)

これを書いている時点で、父は80代の後半、母は80代の前半です。二人とも実家の一軒家で、50年近く暮らしてきました。高齢になって、徐々に弱くはなっていましたが、それまでは介護が必要な状態ではありませんでした。また、二人とも、これまで生死に関わるような病気はしていません。
現在は、母は認知症と心身症が混ざった状態で、寝たり起きたりです。いわゆる、老老介護の状態だったのですが、そのきっけが お墓 の問題でした。

介護のことを書いていると、人生というのは笑い話ではないかと、錯覚したくなります。僕のようにシニカルな受け取り方だと、なおさらそうでしょうか(笑)

そう、そもそものきっかけはお墓だったのです。人間年を取ると、自分のお墓が気になものです。今から、4~5年前でしょうか、父が、長野の友人の関係で安くお墓が建てられるということで、長野の某村にウチのお墓を作りました。それまで、祖父・祖母のちゃんとしたお墓がなかったのです。そこは、環境はとても良いところです、父はそれを気に入って決めました。周りは「そんな遠いところに」という反応でしたが、父の強い希望で、お墓が出来て、祖父・祖母、父、母、そして自分たちも一緒に入れるようになり、一応めでたしめでたしだったのですが・・・。

僕はお墓なんてどうてもいい。、死んだら、遺体は抜け殻だから、どうでもいい。そういう発想なので、自分的にはどうでも良かった。あとで分かるのでが、お墓というのは、結局は生きている人間のためにあるのですね。その辺を理解してませんでした。

問題は、そのお墓の距離にありました。東京からだと、片道で4時間ぐらいかかるのですね。僕はそれでも良いと思っていましたが、お墓が出来て、実際に行ってみて、とんでもないって思ったのが、母です。すでに、母は当時体力的に弱っていましたので、片道4時間の墓参りは非常に大変だったのですね。(自分(母)が死んでしまったら、そんなのどうでもいいじゃないって、僕は思ったのですが・・・。)

その後、母は、家族に対して「お墓の移転運動」を始めます。母は基本的にワガママな人です。論理性もありません。理性的でもありません。都内の近くに、別のお墓を探し始めます。自分の貯金があるから、それでお墓を作ってほしい、死んだら分骨でもいいから、祖母・祖父(母の両親)の遺骨を移してほしい、自分はそこへ入る。数ヶ月にわたって、電話だの、手紙だので、こちらへ言ってきます。

僕は、母のお墓の話は基本的に聞き流していました。「まあ、活動するテーマが出来て、いいんじゃない」ぐらいに受け流していました。私の妻は「お墓は今のところよりも近い方が望ましい」と考えていたようで、母の意見を少し聞いていました。そこで、母と妻が日時を合わせて、お墓の候補を実際に見に行くことになりました。
その当日に事件は起こりました。母が待ち合わせの場所に行く途中に、外で転倒してしまったのです。自力で帰宅したのですが、それが寝込んでしまうそもそものスタートとなりました。

今になってみれば、あのときに母のワガママをもう少し聞いてあげて、丁寧に対応しておけば違ったかも、と考える時もありますが・・・。当時は「年寄りのワガママ」としか受け止めていませんでした。

寝込んでしまう(2012年秋~)

この転倒のあと、母はめまいがする状態になってしまって、寝込むことになります。最初は、打った箇所が痛いというのが主訴でしたが、そのうちにめまいが主訴になります。当時自分が、どの程度対応したかは記憶が定かでは無いのですが、実家に行けばレイキはしてあげていました。ただ、頻度は多くなかったですね。

これは、あとになっても思うことですが、近くに住んでいても、実際に同居していないと問題の深刻さが理解できない場合があります。今になっては、この転倒した時に集中して、連日レイキを完全にしておけば、かなり違った結果になったかもしれません。

変化の無い状態が続く(~2013年初秋)

この母のめまいが、なかなか良くなりません。起きて行動することが難しいので、どうしても寝てる時間が多くなります。こちらも、寝ていてばかりだと体力が落ちるから、寝たきりになってしまったら困ると、たまに行ってはレイキはしていましたが、根本的な変化はありません。この間も、耳鼻科、脳神経科など行って、薬ももらって飲んでいますが、大きな変化がありません。

僕のほうは、春になれば気分的にも軽くなるだろうと、様子見をしていました。以前にも母は、鬱状態になったことがあって、一冬超したら良くなった経緯があるので、今回も期待したのですが、それは起こらず。母はもともと神経質で、数十年前から不眠症でした。昔は、メラトニンで効果が出るぐらいでしたが、この時期は睡眠剤もかなり使っていたようです。しかし、昼間も寝ていれば、夜眠れるはずはなく、昼夜のサイクルがなくなってきてしまいます。

誤解があるといけませんが、器質的には私は母に似ています。母は神経質で、人との交流が嫌いで、何事も悪い方向へ考えて、とにかくネガティブ思考。相手の気持ちを考えないで、ずけずけと相手が傷つくようなことを言う(本人に悪気はない)。良くいえば、繊細、接客にものすごくエネルギーを使う。

この年の秋に、もう一度ちゃんと医師に診てもらおうということで、めまい外来を専門にしている医院へ、父を伴って母を連れて行きました。その病院の医師は、よく見てくれて、検査をして、まず耳の問題と、脳の問題を切り分け、めまいは耳の問題ではなく、脳のどこかの血流が悪くなっているせいであろうと診断しました。母はもともと、老人性の脳梗塞があって脳の血流は悪くなっている状態でした。
この時は、脳の血流を良くする薬と、同じような効果のある漢方を処方してもらいました。しかし、母のほうは、もうこの段階で痴呆・認知症が入ってきていました。僕から見ると良いお医者様だと思いましたが「ひどい医者だ」と罵り、薬も1週間ほど飲んで「胃が悪くなった」といってすぐに服用を止めてしまいます。

医師とのやり取りで感じた別の点は、父の衰えでした。僕の場合は、昔から父に大きな信頼を寄せていて、幼い頃から「しっかりした父」の印象だったのです。事実、父は80才後半になっても、仕事としてパソコンでエクセルが使えたり、携帯のメールもちゃんと打てるすごい人なんです。当時も、まだある会社の仕事を引き受けて、僅かですが給金をもらっていました。

しかしこの頃は、母に付き添っていっても、医師の話が十分理解できず、判断力も落ちてきていて、かなりの衰えを示していました。僕が、母への対応や父への対応が、あと手に廻ってしまったのは、たぶん父の衰えを十分に理解していなかった面がかなりあると思います。

母が悪化してきた秋以降は、父は仕事を辞めて、母の介護に専念することになりますが、これは父にとっては、かって良くなかったのかもしれません。あとで書くように、母の介護のストレスをもろに受けるようになってしまったからです。この段階で、早々に介護ヘルパーを導入していたら、たぶん違った結果になったと思います。

秋に医師に一度連れて行ったあとは、大体週に2回実家に行って、母にレイキをしていました。基本的に、頭にレイキをします。本格的にレイキを使おうと始めた当初は、頭の反応は弱かったです。30分~40分とレイキしても、余り反応がありません。しかし、2回目、3回目と回を重ねて付くと短時間で熱感が出てくるようになりました。もちろん、遠隔も併用していました。

状態が悪化(2013年末冬)

母は、めまいの状態は悪くはなっていなかったのですが、カラダ全体の状態は悪くなっていました。特に、消化器系が不調で、下痢と便秘を繰り返していました。この頃までの母には「医薬信仰」というものがあって、何でも薬を飲めば良いという考えがあり、しかもちょっとでも気に入らないことがあるとすぐに止めてしまうという、不適切な使い方もありました。下痢になれば、下痢止めを飲む、それで便秘になれば下剤を飲む、眠れなければ睡眠導入剤、気分が優れなければ抗うつ剤、胃が悪ければ胃薬と。保存してある薬が数箱にも溜まっていました。食事も、父は、母が「食べたい」というものを食べさせていました。母は、基本的に漂白された糖質のものを好むので勢い便秘になります。栄養も取れていません。父では、母の栄養管理・体調管理が出来ていなかったのです。

体重も、どんどん減少し、寝ている時間ばかりになり、それまで読んでいた本も読まなくなり、明らかに衰弱して行っているのが感じれました。しかし、どこかに疾患があるわけではないのです。血液検査の結果も、特に深刻な問題があるわけではなく、体内に炎症があるわけでもなく。しかし、この頃の母を見ていると、「お正月を迎えられるのだろうか・・・?」「そろそろ覚悟をしておかないといけないか・・・」そういう考えが頭を何度もかすめていました。この頃は、母の介護レベルを 要支援2 ⇒ 要介護1 とアップの手続きを進めていたと思います。

ターニングポイント

レイキはある程度使っていましたが、気むずかしい母は、必ずしも手を当てられることを喜ぶとは限りません。ある程度、なだめすかしながら(笑)当てていましたので、まったく十分ではありませんでした。
明確な変化が始まるのは、母はもう薬を飲んでも良くならないということを、単純に実感するようになったことです。その前から「薬は飲んじゃダメだよ」とうるさくは言っていたのですが、24時間監視が出来ません。そこで、薬を全部整理して、隠してしまったのです。また、僕の方で、食事の管理をかなり行うようにしました。精製されていない栄養があり、植物繊維の多いものを買っていって、食べさせるようにしました。

この頃になると、実家へ行く回数も増えて、週2回~3回になってゆきました。何とか、治療の方針は立てたものの、まだどうなるか分からない状態で、とりあえず年末年始を迎えることになります。

子育てとの比較
普通の相手でしたら、体調が悪くて、週に何回も行っていて、色々世話を焼いていれば、こちらの努力も分かってくれますが、認知症が入っているとその点が全くダメです。実家に頻繁に行くようになって、半年近くになりますが、実家へ行くと母はいまだに「あんた、なんでここにいるの!?!」それが、母が私に向ける第一声です。機嫌が悪ければ「帰って!!」「何しに来たの!」という反応です。「ありがとう」っていう言葉を聞いたのは、これまで2回ぐらいでしょうか。そんな状態なので、どうやって、ヘルパーさんを入れるかというのを、当時家族で頭を悩ませていました。
また、母は自分が気に入らないと、料理や食品をぽんぽんと捨ててしまいます(×_×)! せっかく重いのを運んできた食品、美味しいようにと作った料理、自分が気に入らないと平気で捨てます。ご飯も自分で炊いて上手くゆかないと捨てる。今日も、500gの新品のお味噌、全く使っていなかったのが、跡形もなくなっていました。これが、僕はかなりめげました。

体力的には、子育ての方が遙かに体力を使うように思いますが、介護、とくに認知症相手の介護では、こちらの精神的エネルギーが大きく削がれます。ネガティブなエネルギーをど~っと浴びせられるので、それを正面から受けてしまうと自滅します。子育ての場合は、相手はどんどん発展して行く、成長して行くわけですが、介護の場合は、相手は基本的に下降して行く、悪くなって行く、弱って行く、死んで行くわけですから、面白くも何ともありません。上手くかわして慣れる、そして耐える、それがただ続きます。

夫婦のこと

これはウチの家族に限ったことかもしれませんが、夫婦というものについても、考えさせられました。すでに書きましたが、母は、昔から気むずかしい点があります。僕なんかは「こちらがこう言えば、母は(ネガティブに)こう反応するだろう」というのがある程度は予測できます。ところが、父はその予測が出来ない、母に普通の人の反応を期待している。だから、父は母からネガティブな反応を受けると、一喜一憂してしまう。僕から見ると「それって、お母さんだったら普通でしょ」ていうことにも父は憤慨する。それは、僕にとって非常にショックでした。長い間、一緒に暮らしているのに、お互いのことを全然理解していない!! 母は母で、父のことなんて一切気にしていない。自分の世話人だとしか思っていない。機会があることに父の悪口を言う。  なんだ夫婦って???

死ぬこと

(警告:不快に感じる人がいる文章です)
人は元気なうちに死んだ方が良い、つくづくそう思いました。病院で長期に、電線やチューブに繋がれるなんて論外ですが、寝たきりになって介護を受けながら、徐々に弱ってゆくのをただ待っている。ただ、口からものを入れて、そして排出して、それだけになってしまったら、どうなんでしょう? それには何の意味があるのか?

僕の場合は、父も母も、自力か見守りをして、トイレへ行って、一人で用がたせます。しかし、人によっては寝たきりになり、トイレも自力で出来ない、24時間介護が必要な人、そいう家族の介護をしている人の気持ちは、またレベルが違うでしょう。これまで大変な介護をした家族が亡くなって「ホッとする」「解放される」「救われる」そいう感情を持ってしまうことは、まったく自然なように思います。「そろそろ逝ってほしい」と思ってしまうことは、簡単に想像できます。

両親が60代か、それより若くして亡くなった方は、本当に悔しい思いをされたでしょう。大事な人がいなくなってしまった。愛しい人が逝ってしまった。なんて悔しい、なんて寂しい、なんて虚しい、なんて悲しい、そう感じるでしょう。今回僕が発見したのは、そういう形で家族のことを思えるのは、ある意味で幸せなことだということです。つまり、惜しまれて死んで行く、死んで周りから惜しまれる、それは幸せなことではないでしょうか。

もう一つ思ったのは、夫婦が両方とも長生きして、老老介護の状態になってしまうと、何か一つ問題があると坂道を転げ落ちるということです。妻と話したのですが「どちらかが元気な時に、片方が死んだ方がいいね。」と思いました。「夫婦仲良く一緒に年を取ろうね」なんて、四方山考えない方がいいと思いました。

もしも、長生きをするのであれば、元気な状態で。そうでなければ、早めに逝ってしまったほうがよい、そう思っています。昨年、私の弓道の先生で、その1週間前まで、道場で指導をされていて逝かれたご高齢の先生がいらっしゃいました。あまりにも急で、僕には大変ショックでものすごく悲しかったですが、ご家族には不謹慎な発言ですが、あれは良い亡くなり方だったのだと、今になって思います。

母が改善(2014年1月)

お正月気分とは、ほど遠いお正月でした。しかし、母の状態は、本当に僅かずつ、少しずつですが、底を抜け出して、改善する兆しが見えて行きました。消化器系の状態が改善して、気力、体力も上昇傾向が出てきました。こちからの、問いかけにも、普通に対応できる時が出てきました。この時点で、年末からとってきた治療方針が正しいと確信できるようになりました。

つまり、母の状態を悪くしていたのは:
  医薬の乱用
  悪い食べ物
これに尽きると思います。こういったお年寄りって、実は結構多いのではないかと思いたくなります。お年寄りになると、判断力や体の感じる力が鈍ってきます。病院に行って、沢山薬をもらって、それを一生懸命に飲んで、かって体調を悪くしている場合が、あるのではないかと思うのですが。

父が衰弱(2014年1月下旬)

母が改善傾向になると同時に、父のほうが元気がなくなってゆきました。頭の中では、介護している父の状態は大丈夫だろうかという声は前から聞こえていたのですが、何から何まで母のほうにかかりっきりで、父への配慮が出来ていなかったのですね。この時点は、父は介護認定はナシ、母は要支援2でした。

ケアマネージャーさんと相談して、母への介護を早急に実現しないといけない、という事態になりました。問題は、母が他人をなかなか寄せ付けないということです。ですから、最初は身体介護ではなく、生活支援で入ってもらおうと計画になりました。

路地の雪かきこの頃は、父が家事が出来ない状態になってきて、我々が実家にゆくのも、ほぼ毎日のようになっていました。僕のほうも、体力的・精神的にギリギリ、かなりキツイ状態になって行きました。仕事の合間に介護をしているのではなくて、「介護の合間に仕事をしている」という状態になって行きます。また実家は、香りの森よりも広い路地の奥にあるので、雪が降るたびに、自分の家と実家の路地の両方の雪かきをしなければなりませんでした。何とも腰に辛かったです。

父はアチューメントも受けていますし、レイキには肯定的なので、母はとりあえず中断して、父へのレイキをして行くことになりました。この時は、どこが決定的に悪いということが良くわかりませんでした。実は、その理由はあとになって判明します。

弱ると布団がかけられない
これは最初良く理解できなかったのですが、体力・筋力が無くなってくると、布団に入る時に、自分で布団を掛けられなくなるのですね。特に、冬のように布団が複数枚あるときは、難しいようです。知りませんでした。
母が、筋力・体力が無なくなって、布団を掛けるのをお父さんにやってもらっていました。しかし、問題は母が不眠で、夜に寝ていないということでした。一旦布団に入っても、短ければ10分毎に起きてきて、布団がけを要求する。長くても、2時間寝たままでいるのは珍しい。それが、昼夜の区別なく続きます。
父は、この母の布団がけに1年半つきあっていましたら、自分もよく眠れません。この状況を僕が良く理解したのが、父が具合が悪くなってからでした。

ですから、母に少し体力・筋力が戻ってからは、何とか自力で布団を掛けるように促してゆきました。機嫌が悪いと「お願いだから、イジワルしないで!」と文句を言ってきます。しかし、父に入院させようと決意した日は、こちらもホントに本気で渾身の気持ちで「お父さんこのままだったら本当に死んじゃうよ! お願いだから、自分で布団かけるようにして!!」ってぶつけました。そしたら、そのときは、自分で布団が掛けられるではありませんか(笑)。これは、この介護の活動の中で、劇的な出来事だったのです。

父が入院(2014年2月15日)

実家に行って家事をやりながら、父にレイキをして、様子を見るということをやっていました。父は食欲が落ちて、体力が落ちて、フラフラとして立ち上がれなくなりました。ヒビキを診ても、決定的にどこが悪いということが分かりません。状態は良い日もあれば、悪い日もある、しかし良くなって行く気配がない、そんな感じです。そこで、もうすこし詳細に様子を見ようと、ある日泊まりで実家へ行って、父の様子を観察しました。それが2月14日。父と同じ部屋に寝て、観察していると、やはりかなり悪い。これは、もう入院しなければまずいと判断しました。この日、すでにかなりの積雪があり、明日どうやって入院させるのか、想像も付きませんでしたが、幸い15日に予定していたレイキ体験会を、その雪のために中止に出来たので、助かりました。結果的には雪が降ってくれて良かった。

「いったい、この積った雪の高さはどうなってるんだ!?」と驚いている暇もなく、介護用のタクシーを使って、父を日赤病院(武蔵境)に連れて行って、検査そして入院となりました。この介護用のタクシーのことは、それまで知らなかったのですが、車いすを使って、自力で歩けない人を搬送してくれます。これはとても助かりました。以降町を歩いていると、この介護タクシー、かなり頻繁に見かけます。

色々な検査の結果、父の問題は:

急性の腎盂腎炎
貧血(基準値の半分)
治りかけの胃潰瘍
逆流同姓食道炎
軽度の敗血症

ということが分かりました。

断っておきますが(笑)、父は私よりもさらに医者嫌い、検査嫌いで、この何年か? 十年か? まともに検査というのをしたことがありませんでした。今回もこうなるまでに家族がほったらかしにしていた訳ではないのです。ただ、今回CTで精密に検査しても、生死に関わる疾患は一つもありませんでした。その点は素晴らしい(^_^)/
考察できるのは、この1年半の母の介護のために、ストレスが蓄積して、胃潰瘍になり、その出血と栄養不良から貧血になり、また免疫が低下して、腎盂腎炎や敗血症になりかけていた、大体そういう観察が成り立ちます。胃潰瘍のあとは、大体1ヶ月~2ヶ月前に出来たものということで、母が最悪の状態だった時期と符合しています。

一方の母の症状は、
不眠、めまい、腰痛、認知症、心身症(なんからの)、摂食障害、消化器系が弱い、といったことが認識できます。他に以前からある潜在的な問題として、骨粗鬆症、高脂血症もあります。この中で、不眠は一番深い背景ですが、現在は昼夜の区別なく寝ています。心療内科で処方される程度の睡眠導入剤では、効果が出ません。以前は母の要望で、雨戸を閉め切ったままにしてあったのですが、とにかく今は自然のサイクルをつけようということで、強制的に雨戸を開けたままにしてあります(このことでも、母と一悶着ありましたが(笑))。

介護上で問題なのが、摂食障害です。起きているとき、食べ物以外に全く興味を示しません。テレビ、新聞は無関心。人にも無関心。昔大好きだった猫にも、積極的に関わろうとせず、ただただ食べ物に興味があります。起きてきては、テーブルの上、冷蔵庫の中、戸棚の食べ物をあさり、食べ散らかして、そしてまた寝てと。この1年半、それの繰り返し。バター、ジャム、砂糖、そういったものは、うっかりテーブルに置いておくと、2日でビンを空にします。アイスクリームも際限なく食べます。ですから、実家では食べ物の管理が大変。母が食べ過ぎないように、アクセスできる食べ物の種類と量を、しっかり管理しないと、胃腸障害になります。
ですので、実家では母がアクセスできる冷蔵庫と別に、小さめの冷蔵庫を購入して、そこに食べ物のストックをしておくという方法をとっています。

母が一層改善

父が入院したことで、大きな変化が起きます。
一つは制度上、要介護1の母の面倒を見れる同居人がいなくなったので、ヘルパーさんを週5日入れられるようになったことです。父の入院をケアマネージャーさんに知らせたら、すぐに対応してくれることになりました。われわれ家族は日々、父の病院と実家と両方にゆかないといけないので、これは大いに助かりました。

もう一つは母の変化です。
もう本当に皮肉なことなんですが、ある意味、お笑い人生劇場ですが、父が入院したことで、母の具合がテキメンにに良くなって行きました。喜ぶと言うよりも、苦笑いしか出てきません。これには二つの要因があると思います。
一つは、これまで頼っていた父がいないことで「自分で、しっかりして動いていかないといけない」という気持ちが出てきたのでしょう。これまで、ただ何かを頼む一方だけだったのに、おろしリンゴを作ったり、ご飯を炊いたり、洗濯を気にしたり、自発的に家事に手をつけるようになってきました。ただ、認知症があるので、どこかでおかしいところが出ては来るのですが。
歩く足取りも、寝たり起きたしてるから、どうしてもフラフラする面がありますが、以前と比べたら格段に改善して、スタスタ歩く場面も目撃します。寝る時の布団がけも、自分一人の時は完全に一人で出来るようになりました。
もう一つの変化は、ヘルパーさんを受け入れるようになったことです。1~2回はヘルパーさんにも「帰れ!」と言ってしまったようですが、大方のケースで受け入れて、お風呂介助もさせてくれるようになりました。これで、今後の介護の見通しが、大きく好転したのです。

「なんだ、お父さんがいないほうが、良いんじゃない」
喜んでいいのか、悲しむべきなのか(苦笑)

認知症の改善
母の場合は、どこまでが認知症でどこまでが心身症なのか、ミックスして明白ではないですが、今回確実な実感として、認知症に有効なのは2点だと思います。この2点は、認知症のご家族をお持ちの生徒さんに日頃伝えていることなのですが、実体験として確認できました。
それは:

【1】刺激を与えること:今回は、ヘルパーさんが週5日も入ることで、今までは見知った家族だけだったのですが、知らない他人が家に入ってきます。それは凄い刺激ですよね。本人が嫌がる嫌がらないは別にして、それは母にはとてもいい刺激になったと思います。家族と違って丁寧に話しかけてくれる、名前で呼んでくれる、世話を焼いてくれる、全部良い刺激です。また、他人が来るからすこしシャンとしていないという意識のアップにつながります。年を取るとどうしても、付き合う人間の範囲が狭まって、それに応じて刺激が減ります。
今回は、ありませんでしたが、人以外の五感を通しての刺激も、有効な場合があります。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、それらを刺激してあげることも大事だと思います。

【2】役割・立場・仕事を与えること:今回、父が入院したことで、自分である程度、身の回りをやらなければという立場に追い込まれました。これが、非常に良かったのですね。今まで全く手にしなかった作業をしたりするようになりました。手で作業をすることで、さらに脳へ刺激が生まれて、そこでポジティブなフィードバックも生まれます。大体、人間年を取ると、呆けてくるのは、やることがなくなってくる、責任がなくなってくる、立場が無くなってくる、危機意識が無くなってくる、結果を問われなくなる、そういう自分の存在感が薄くなることから生じていると思います。

一般的に認知症は、回復させるのは難しいですが、場合によってはこの2点を与えることで、改善する可能性は大いにあると思います。← プラス、頭部へのレイキですね、血流回復にとても有効です。

老人が「大丈夫!」っていうのは危ない
昨年末に、母の介護レベルをアップするために、ケアマネージャーさんと会合をしましたが、その際に父が「私は元気だから、私は何でもやりますよ。大丈夫です。」と言っていたのを、もう少し正確に理解するべきでした。とくに男性は、若い時はもちろん、高齢になっても、根拠のないプライドや自信があり「大丈夫です」って言ってしまうものなのですね。父が入院して、まだ退院しかけている時にも「大丈夫!」っていってましたが、さすがにこの時は心の中で「そんなことないでしょ」って反論してました。退院して数日の時も「もう元気だから」って言ってました(笑)。実際は、そうではないのですね。

自分が年をとったら、早めに「俺はもうダメだ」って、周りに言いふらしておいた方が上手くゆきそうです(笑)

今回、介護はとにかく、早め早めにというのが必要だと痛感させられましたから、「大丈夫」というのは、そのまま受け取らない方がいいですね。

高齢者のヒビキ
今回、完全に見誤ったのは、父の体のヒビキでした。
これには、二つの要因があります。

実は父が具合が悪くなった時に、ひどい頭痛を訴えていました。痛くなり始めると、何も手に付かなくなるぐらいです。それが、1日の中で波状的に起こってきます。セラピストとしては、それを一番気にしますよね。実際に、手を当てると頭のヒビキがかなりあります。脳溢血? 脳梗塞? どちらも緊急性があります。
血圧を測ると、149 - 75 と、この年齢では問題なし。脳梗塞の症状もなにも顕著ではありません。奇妙なのは、頭痛の箇所が微妙に移動することです。一時は、頭左半分が痛いなどのときもありました。もちろん検査しないと分かりませんが、僕としては脳内部の問題ではないと感じました。本人の感覚、ヒビキの感覚も、わりと表面ではないと感じさせるものです。ですので緊急性はないと判断して、父が不調になってからは、一生懸命、頭にレイキしてました。
(もともと父は医者嫌い、検査嫌いですから、簡単には医者へ行って検査するってことにはならないのですね。皆さんは、こういったときは、早めに医師の検査・診断を受けて下さい、くれぐれもお願いします。)
その甲斐あってか、頭痛は少しづつ改善してゆきました。入院した時には、気にはなるけど、以前とは全然違う状態まで改善していました。

もちろん、入院時の検査で、頭部CTをとって、何も問題が無いことが確認されています。推定ですが、一種の神経痛のようなものが、体調が不良になる事で顕著になったのではないでしょうか。

私が見落としたのが腎臓でした。
入院前に、腎臓のあたりが違和感があるという訴えはあって、レイキをしたことがあったのですが、決定的なヒビキを感じませんでした。むしろ、肝臓の方にヒビキがあって、肝臓にレイキをしていましたが、病院の検査では肝臓は問題なく、急性の腎盂腎炎ということが判明。

入院してから数日は、徹底して腎臓にレイキをしました。
それで分かったのが、入院1日目、最初腎臓のヒビキがはっきりしない。いや、ヒビキはあるのですが、腎臓が少し疲れた程度のもの。「うーん???」と思いながらレイキを続けると40分ぐらいして、やっと熱感が上がってきます。「え~、こんなに遅いの!!」いままでレイキを受けたことないクライアントさんだったら、初回にそうなるケースは体験していますが、父の場合は、それまで、体にはレイキはそれなりに流してきました。それなのに、こんなに反応が遅いの!? だから、家でレイキをした時には、腎臓がそんなに悪いとは分からなかったのか・・・。たぶん、高齢に加えて、体力も落ちて、体の治癒力が非常に低下していたから、そのように反応が遅くなっていたのでしょうね。入院2日目、3日目とレイキしてゆくと、強いヒビキが出てくる時間は、徐々に早くなってゆきました。

しかし、セラピストとしてはまだまだ未熟でしたね。
体力が無くなった高齢者は要注意です。

父が退院(2014年3月4日)

父は、抗生剤の投与で、順調に回復して、退院しました。ただし、実家に戻るといっても、母の介護や家事でまた疲労してしまうといけないですから、母の介護を維持しながら、父の方もゆっくりしてもらう体制を作らないといけません。あと、これは制度上の問題なのですが、父が入院している間は、母の介護は週5日入ってもらえたのですが、父が戻ってくると週2日に制限されてしまいます。このため、父には週2日はディサービスに行ってもらい、その間に母のヘルパーさんに入ってもらうという形をとります。結果として、ヘルパーさんは週4日、そのうち父は週2回のディサービス、他の日は、家族で対応が週2日、両親が自分達でやるのが週1日という編成になりました。
なかなか複雑です!!

新体制で(2014年3月4日~)

そのほか、買い物は出来るだけ生協の宅配を利用するようにして、配食やディサービスのお弁当お持ち帰りも利用しています。ただ、お弁当というのはどうしても味が落ちます。出来たてのもの、その場で作ったものが美味しいですから、今は色々まぜこぜです。
まだ、全てがスムーズに運営されている訳ではないです。父の体調は、かなり維持できていると思います。しかし、母の食事内容やペースは、父が完全に理解していないこともあり、母一人だけだった時よりも、管理が難しくなっています。便秘や下痢もたまに起こっています。認知症や心身症の状態は、父が戻ってからは変化が止まってしまった感じです。ですので、母の体調はこれからどうなるのか、全く分かりません。

我々家族の方も、新しい体制を動かしてゆくことで、ほとんどの労力をとられてしまって、落ち着いてレイキを使う時間がなかなか出来ません。僕自身も、少しトラウマが出来てしまって、昔は実家にゆくと、育った家なのでそれなりにホッとしたものですが、今は出来たら居たくないという気持ちの方が、勝ってしまっている状態です。まあ、もう少し経てば、解消するでしょう。

この状態がどれぐらい続くのか? 半年? 1年? 2年? 5年? 片方が逝ってしまったらどうするのか、懸案のお墓はどうなるのか(笑)、何とも先は分かりません。自分の体調も、立て直してゆかないといけません。

やっと継続可能な状態に(2014年4月)

4月に入って、色々なことが定常的に走るようになりました。買い物仕事も、生協を活用することで、最小限に抑えられるようになりました。これまで、週に何度も足を運んでいたもの、何事もなければ、私が1回、妻が1回行って、済むようになっています。私自身も、かなり普段のペースに戻ってきました。

母の、具合は波があり、機嫌が悪くなったり、胃腸の調子が悪くなったりすることもありますが、それでも元に戻りながら、何とかやっています。昼間の時間は、まだ寝床でですが、本を読むことが多くなるようになりました。まだ、起きて活動することはしません。これまで、一度だけ、車イスで散歩に成功しました。
母散歩僕の5月1日のメモです『今日やっと、母の散歩に成功しました。初めての車イスでしたが、近所を楽しく散歩できました。暑いぐらいの陽気で、とても気持ち良く感じていました。母は、花や植物に興味があるので、道ばたや近所の草花を一つ一つ観察、鑑賞しながら、とても良い散歩が出来ました。時間にしたら20分位でしょうか。
母の介護を始めてから、おそらく最もハッピーな時間だったと思います。母も大変に喜んで感謝していました。』

父のほうは、マイペースでやっていて、体力もかなり回復してきました。父のほうは、記憶力は落ちてきているものの、現在心配はないです。

母が別人のように回復(2014年5月, 6月)(^o^)/

5月に入って、母が別人のように回復してきました。昼間も起きてる時間が多くなり、本もかなりの量を読むようになり、6月に入ると、なんとDVD見たり、テレビ見たり、新聞読むまでになりました。そんなこと、この2年間なかったことです! 何かをしてもらうと、丁寧に「ありがとう」とちゃんと返事をするようになりました。

サクランボウ何よりも大きな変化は、他人に何かをしてあげようという行為が出るようになったことです。これはいままでと決定的な違いです。ある日、実家へいって料理をしていたら、お茶が出てくるではありませんか! 母がお茶を入れて台所まで持ってきてくれました。最初は、その重要性が分からなかったのですが、さらに数日後、居間に座っていると「これもらったから」と言って、頂き物のサクランボウがちゃんと食器に入って出てくるではありませんか。これには、驚きましたし、その行為の重大さがその時に分かりました。何とも感慨深いサクランボウでした。なので、記念に撮っておきました(^_^) @6月25日

なぜ母がここまで変わったのか? これはレイキのおかげではないのですが(笑)、僕には1つの推論があります。それは、お墓の件なんです。実家の恥をさらすようですが、実はこのお墓の問題こそが、そもそも2年前に母が転倒して寝込んだきっかけを作ったのでした。

お墓父は2009年に知人の紹介で、長野のM村に、家族のお墓を建てました。ここには、母の両親のお骨が眠っています。安価で場所的にもとても自然に恵まれたところで、それは良いのですが、何せ遠い。東京から片道4時間ぐらいかかります。父は、そういった事もあって、家族にしっかりと了解を取ってから決定したのですが、話を聞くのと実際に行ってみるのは大違い。最初は、母も賛成したのですが、徐々に体力がなくなってきたこともあって、お墓が出来て実際に行ってみてから「あんな遠いところは嫌だ! 墓参りも出来ない! 私の貯金を使っていいから、もっと近いところに別に作ってくれ!」と言い出すようになりました。母は父以外の家族に電話や手紙攻勢をかけて、近いお墓を探し始めます。それが2年前。そして、私の妻と近いお墓を見に行くため、待ち合わせ場所へ出かけるときに転倒。それ以来、寝込むことになったのです。お墓のことがなければ、そもそもこの介護はなかったかもしれないのでした。

ところが、母は少しよくなってきた今年4月頃から、母の姉に手紙で働きかけたようです。そして、姉のほうから父へ「近いお墓に(姉妹の両親の)お骨を移して欲しい」という要望を伝えることに成功。父も、母以外の人からの要望を断り切れなかったようです。父はお墓を作るときにお世話になった友人・知人に対して申し訳ない気持ちが一杯で、自分の苦労してやって来たことを完全にひっくり返されるので、断腸の思いだったようですが、自分が折れることが必要と理解したのでしょう。そして、母の両親のお骨は、もとあった埼玉のほうへ戻されることが決まりました。実は、母の状態はこの頃から劇的に良くなったのでした。お墓の場所なんてどうでもいいと思っている僕には、ある意味で笑い話のように感じられましたが・・・。

もともと母の状態は、認知症とウツが混ざったものだろうと感じていましたが、お墓の問題が解決して、母のウツの部分がかなり改善されたのだろうと推測しています。

父がヘルニアの手術(2014年5月)

父は2月の入院3月の退院以来は、疾患というものはなかったのですが、実は幼少期からの問題として、ソケイ部のヘルニアがありました。これが高齢になってから顕著になってきていて、昨年からそろそろ手術しないととなっていたのですが、母の介護や自身の体調不良で先延ばしになっていました。5月になって、完全に身体が回復してきたので、ヘルニアの手術に踏み切りました。左右両ソケイ部で、逸脱の程度も大きいので、全身麻酔になりました。そのため、術前にほとんどありとあらゆる検査をしましたが、特に問題は見つからず、至って健康であることが分かりホッとしました。この間、何度も通院に付き添い、入院中も行ったり来たりで、こちらの負担もかなり増えましたが、無事に手術が終わり、術後の経過も極めて良く、無事に退院できました。もちろん、術後は直後から病室でレイキをしていました。もちろん、これは効いたと思います。

見舞いこの時期、母が調子よかったので、驚くぐらい父のことを心配してました。そして、入院中も是非ともお見舞いに行きたいと言いだしたので、車イスで連れて行きました(写真)。しかし、母と話して驚愕してしまったのは、父が2-3月に入院したことが全く記憶になかったことです。認知症と言っても、何週間も父がいなかったことを憶えていないのですね。いやー、不思議でした。

定常状態に(2014年7月~9月)

父のヘルニア手術も終わり、完全に回復して、実家は安定してきました。介護も、ヘルパーさんが週4日、僕が1日、妻が1日行くというパターンが安定して実施できていますし、緊急で何かをしないとイケないということが起こっていません。ただ、母の状態は5月よりもまた少しもとの方向へ戻り、5月よりは寝て本を読んでる割合が増えましたが、たまに新聞読んだり、テレビみたりはしていますので、問題は無いと思います。母はたまに消化器系が不調になるので、その時にレイキするぐらいです。この安定した状態がいつまで続くのか、何か変化が起こるのか、今のところは全く分かりません。今のところ、毎週毎週のルーチンをこなしてゆくだけです。

母が薬で体調不良、そして回復(2014年10月~11月)

母は、常日頃不眠を訴えています。普通の睡眠薬を飲んでも効かないので、あくまで気安めという形で医師に処方してもらっていました。摂取も、本人ではなくて、私がカレンダー形式にして貼り付けた薬を父に託して、父が毎日夜に母に1錠渡す、ということをやって来ました。ですので、管理が上手く行くかどうかは父にかかっていました。しかし、母も賢くなってきて、そのカレンダーを自分で見つけて勝手に飲んでしまったりとか、父も面倒くさくなってしまって、カレンダーごと渡してしまったりとかで、徐々に上手くいかなくなってきていました。

で、とうとう9月の下旬に処方してもらった10月下旬までの睡眠薬を、母が勝手に10月7日までに全部飲んでしまうという事態になりました(O_O) 母は、昼夜の区別なく、寝たいときに飲むという感じで、昼間に寝ていたり、フラフラしていることが有り、その事態に気がつきました(父は、母の体調にはあまり気を使っていません。基本、興味がないというか、面倒くさいと感じているのですね)

フラフラすること以上に、問題なのが、薬を余計に飲むことで、母はお腹の調子が悪化するのですね。そうすると、一気に元気が無くなります。食べる楽しさもなくなるし、体力も落ちます。ですので、やむを得ず医師に頼んで、睡眠薬はもう処方してもらわないことにしました。医師も、患者から懇願されると、どうしても出してしまうことがあり、私がかなりの語調で頼んだので、納得してらいました。非常に残念なことですが、医師は自分の処方した薬で患者の体調が悪くなるということに関して「利用者の管理の問題」という捉え方をして、自分の責任範囲ではないと感じているフシもうかがえます。

11月24日睡眠薬を止めてから、母の消化器系は1~2週間をかけてユックリと回復しました。レイキは2回ほどお腹に施術し、明らかに有効だと感じました。本人はいまだに「睡眠薬、睡眠薬」と訴えていますが、11月に入って、母はとても元気になっています(笑) 表情も10月より良くなって、元気に食べるのを楽しんでいます。寝込んでしまった原因であるメマイも、最近では訴えることはなくなってします。睡眠薬を差し止めたことで「まさきは、優しいところもあるけど、とても残酷な部分もある」と嫌がられています(笑)。現在の問題は、(ヘルパーさんの担当ですが)素直にお風呂に入ってくれないことでしょうか。

1年を振り返って(2014年12月)

昨年の今頃、坂を転げ落ちるように母と父の体調が悪くなっていました。あれから起こった事を考えると、正直なところゾッとします。結果的には最悪の事態は避けられて、なんとか盛り返しましたが、絶対に繰り返したくない体験でした。今後も、何か不測の事態が起こる可能性は、充分にあります。現在は、ヘルパーさんが週4日、妻が1日、私が1日、訪問するという体制です。継続可能なスタイルを確立出来ています。ただ、これがあとどれ位安定して運用されるのか、半年?、数年?、あまり考えないことにしましょう。

しかし、全体を通してヘルパーさん、CMさんの援助は絶大です。こればっかりは、もう感謝、感謝、そして感謝しかありません。

2015年無事の一年でした

この年は両親とも大きく体調を崩すことなく、無事に終わりました。ヘルパーさんが週4日、妻が1日、私が1日という体勢は変化ありません。雨の日も風の日も暑い日も寒い日も自分の休日の時間が取られてしまうのは、今でも苦痛に感じますが、継続可能な範囲です。

母は、相変わらず床での読書が中心で、たまに起きてきて食事したりテレビを見たりで、外出は一切なしでした。この年前半に血糖値が高いことが判明し(ヘモグロビンA1cが10~11)、作る料理も血糖値を上げないものへ制限していきました。薬も最初は服用しなかったのですが、ヘルパーさんにも気を使ってもらってできる範囲で服用したせいか、11月にはヘモグロビンA1c=8.2まで下がり、まだ高いですがホッとしました。

この年は無事に過ごせましたが、2016年はどうなるか・・・。

2016年お正月

 

在宅介護制度について

この制度については、私は全く無知でした。介護保険というものがあること、困ったときにヘルパーさんが頼める、その程度の何となくの理解しかありませんでした。実際に使ってみると、この制度はかなり整備されていて、お役所が作ったものにしてはある程度の融通もあります。また、面倒な面もあります。

もちろん、かなりのお金を払って、ホームや施設に預けてしまえば、家族としては一番簡単なんですが、それが本人達にベストであるとは限りません。昔から慣れ親しんでいる自宅に住み続けたいと思う人、逆に周りに迷惑がかからないように、さっさと夫婦でホームへ入る人、色々あると思います。自分が高齢になった時に、どうするのか、なかなか難しい問題です。ここでは、在宅という前提でお話をしてゆきます。

各市によって違いがあるのかどうかも知識がありませんが、武蔵野市の場合は 「高齢者総合センター」というのがあり、ここが地域の介護活動を管理・統括しているようです。介護の認定はここの仕事です。で、実際の現場の介護を運営・管理してゆくのは「公益財団法人 武蔵野福祉公社」で、市内に6箇所配置されています。
在宅介護で何かをしてもらおうという場合は、この総合センターから介護支援専門員1名、福祉公社からケアマネジャー(CM)1名が配置担当されて、進めてゆきます。支援専門員は、認定申請と全体の統括、CM(ケアマネージャー)が実際の介護内容を策定、実施してゆきます。毎月に発生する介護費用も、CMさんが完全に把握しています。非常に綿密に管理されていると思います。

公の制度の割りに融通が利くのは、介護の認定がおりる前から、前倒しで実際のサービスが受けられることです。介護認定の申請を出した時点で、CMさんが実施計画を作って、介護を始めてゆきます。介護認定がおりるのには、申請作業 ⇒ 現場の聞き取り調査 ⇒ 全書類の提出 ⇒ 審査 ⇒ 認定 という流れになるので、どうしても1ヶ月ぐらいかかります。今回は、母の場合もそうですが、特に父のケースで、前倒しで実施してもらったので、本当に助かりました。

介護には、被介護者の状態に応じて、レベルがあります。軽い方から重くなるに従って、要支援1、要支援2,要介護1、2、3、4、5。それぞれ、申請して認定を受けないといけません。「要支援」というのは、何というか準備段階のようなもので、介護がないと生きてゆけない訳ではないです。要介護2は「歩行、起立、食事、排泄、入浴などの大半で一部手助けが必要」とあります。寝たきり状態は、要介護3以上になるようです。要介護4は「意思の疎通が困難」とあります。

この介護レベルに応じて、介護保険が使える内容の枠があり、また介護レベルに応じて、使える点数の上限が決められています。たとえば、ディサービスが使えるのは要支援2から、ショートステイが出来るのは要介護1からになります。点数の上限があるので、ヘルパーさんが入れる日数や時間の上限が発生します。

これは非常に良いやり方だと思いました。普通の医療保険は、誰も管理してないし、使える点数もないから、やたらめったら医者へ行ったり、不要な薬を処方したりということが簡単に起こって、簡単に保険制度が赤字になってしまいます。しかし、介護保険は、内容や利用の枠が完全に管理されており、運用上で破綻する可能性が極めて低いと思います。

介護保険が使える部分は、1割負担になります。それでも、2名の介護となると、月々の支払いは無視できない額になりますが、年金収入だけの実家でも、何とかやっていけない額ではありません。もちろん、保険料を支払っているわけですが、公共のシステムとしては、非常に恩恵を感じています。

書類ただし、デメリットとして、契約する書類が膨大です(笑)。申請のための書類(市に対するもの)、CMさんの公社のもの、ヘルパー業者との契約、ディサービスの施設との契約、それらが各1通ではなくて、何通も何通もあります。写真は父の要介護1の認定が降りた時に、市や公社と取り交わした書類です。今回、我が家のケースでは、母と父の介護が同時に発生したので、署名捺印した書類はこの写真の書類の5~6倍の量がありました。これは、今後改善していってほしいです。

皆さん本当によくやっていただいている

支援専門員のかた、CMのかた、ヘルパー担当者のかた、ディサービスのかた、皆さん本当に良くやってくれています。ただ、ただ頭が下がるばかりです。特に、気むずかしい母に、辛抱強く対応してくださっている現場のヘルパーさんは、たいしたものだと思います。仕事だとは言え、「ありがとう」という反応のあるほうが少なく、嫌がられることもあり、とうてい僕では我慢ならない時もあります。ヘルパーさんが毎回書いてくださる介護記録を見ると「笑顔になった」「喜んでもらえた」「明るい表情になった」などなどの表現が端々に書かれているのは、たぶんごヘルパーさんご自身のためでもあるように感じました。

また、妻も自分の親ではないですが、よくやってくれていると思います。感謝です。

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