池澤夏樹「光の指で触れよ」

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香りの森
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人生には怒りも悲しみも必要なもの

池澤夏樹「光の指で触れよ」。この本はレイキをやっている人には画期的な本ですね。普通に一般の方の目に触れる形で、レイキという言葉が現れるのは素晴らしいです。この小説は読売新聞に連載されたという露出度もあります。私は本を読むまで、池澤夏樹さんは女性だと思っていたのですが、男性なんですね。しかも、芥川賞受賞者。そんな作家が読売新聞にレイキを肯定的なものとして小説を書いたのですから、レイキ関係者としては嬉しいです。実際、この小説でレイキのことを知り、香りの森に受講に来られた方も3名いらっしゃいます

私はこれまで特に興味もなかったのですが、この3人目の受講生が来られて、読もうと思って読んでみました。それをきっかけに小説そのもの評価に加えて、関連して考えたり感じたことがあったので、まとめてみました。

この小説はレイキのできるある女性(主婦)を中心にした、一家族の物語です。レイキは肯定的に出てきますし、著者のレイキに対する理解はまあちゃんとしていると思いました。小説自体は、非常に根本的な面で不満がありました。つまり、登場人物全員が「善人」で、「穏やか」で、「悪意」がなく、「健全」なんですね。悪意を持った人はたったの一人も登場しない。テーマとしては夫の浮気、家族の離散、自分の存在感への疑問と、必ずしも軽いテーマではないんですが、悲壮感が全くないというか、何か叫びたくなるような怒りとか、悲しみがない。全員が基本的に冷静で、いつもちゃんと自分を見つめているのですね。これが私には非常に違和感がありました。こんなの人間の実態ではない!って思いました。

この「光の指で触れよ」は、端的に言うといわゆるスピリチュアル系の小説ですが、比べるとよくわかるのが「聖なる予言」です。こっちの方がずっとスピリチュアル度が高いですが、怒りもあるし、悲しみもあるし、悪人も出てくるし、恐怖心も出てくる、悪意もある。だから、小説としておもしろいし、そもそも人間ってそういうものなんじゃないでしょうか? 「光の指で触れよ」は健全な人たちが、健全に浮気をして、健全な離婚をしようとして、健全に離散して、それぞれ健全な体験をして、また健全に家族として戻ってくるという、何とも人間らしくない様子なんです。

それから、さらに「光の指で触れよ」で嫌いなことがあります。それは日本を否定的に捉えていること、ヨーロッパのいわゆる共同体コミュニティーを全面的に肯定していること、などあります。なんていうか形式的なんですね。そういうものを作れば、その中ではみんなハッピーでうまくゆくというか。たとえば、この小説ではシュタイナー教育のことが出てきて、これも非常に肯定的に書かれていますが、私は実際にそうでない体験をしています。私自身シュタイナー教育は興味があったので、息子が保育園に行く年齢の時に一度試しています。まあそのシュタイナー保育は先生が未熟という面もあったのでしょうが、入れ物・作法・様式・道具ばかりを気にしていて、実際の子供の心を扱うという一番大事な面が欠けているのが見て取れました。

そして、この小説を読んで一番感じたことは、人間には怒りや悲しみ、深い感情的なものが、それは辛いことだと感じても、必要なものであるということです。レイキを教えてゆく中で「五戒」は大変大事だと教えていますが、それはそういったネガティブな感情に奪われてしまっていけないということです。ネガティブな感情を軸にして行動するようなことはいけないということです。人間であれば、普通に生活して、人生を送っていて、怒ること、心配することは当然あってしかるべきだし、それを押し殺して生きてゆく必要はないと思います。押し殺すのではなくて、否定するのではなくて、それと向き合う、どうしてそういう気持ちのなるのか自分を見つめることがその本質ではないでしょうか?

いわゆるスピリチュアル系の人たちの発想というか考え方として、辛い感情とか、痛みとかは、「悪」であり「絶対的に良くないもの」と捉える傾向があり、わたしはこの「光の指で触れよ」にもそういった面を感じました。小説だったら、もっと叫びたくなるような怒りとか、恐れとか、ドロドロしたものがあって普通だし、それが人間だと思います。それをない方がよいからといって、ないふりをしても、現実は何も解決しないと思うのですが。まあ、ドロドロと書かないのがこの作者の特徴なのかもしれませんが、全体の様々なことの捉え方を見てみると、必ずしもそうではないという印象を受けました。

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