雑感 日本人と業

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業という概念

レイキは本来、日本の物だというのを痛感するのが、レイキで使われている言葉を他の言語に翻訳する時です。この一つが「五戒」です。

今日だけは
 怒るな
 心配すな
 感謝して
 業をはげめ
 人に親切に

この中で、翻訳に困るのが「業をはげめ」です。他の部分は多言語でも同じような表現が出来ますが、「業」が難しい。「業」は「ぎょう」とも読みますし、「わざ」とも読みます。古語辞典では、「ぎょう(げふ)」と「わざ」大まかには同じ意味ですが、辞書には「わざ」は最重要語として載っていますので、昔の読み方は基本的には「わざ」だった可能性が高いです。

[ベネッセ古語辞典]
わざ(業・態・技):深い意図や重要な意味を含んだ行い
「行為、行い、仕業」「仕事、勤め、職業」「技芸、技術」

さて、こういった基本知識を踏まえて、五戒でこの「業」がどういった意味で使われているか、考えてみましょう。仏教的には「業」はカルマという意味ですが、これは毎日の行動や心の有り様を示している五戒には当てはまりません。もちろん「業」の中には、カルマにつながる行いみたいな関係はあるでしょうが、そういった過去とか未来のことを論じているのではない、というのは五戒の基本的な発想を考えれば理解できます。

業の五戒での意味は?

私がよく参考にする臼井霊気療法学会編「霊気療法のしおり」にはこうあります:

人間は、どんな人であっても、分に応じて職務が与えられております。人間のみならず大自然の中の万物は、すべて神仏の命に従って、自己に応じた業を営んでおります。

私もこの考えには完全に賛成です。つまり、誰でも自分が日々なすべきことがあり、それは仕事という概念を超えていて、何でもいい、なすべきこと、なんですね。もちろん、具体的には仕事の場合もあるし、趣味の場合もあるし、ボランティアかもしれない、赤ちゃんだって、子供だってなすべきことがあり、家庭の家事も大切な「業」であり、みんなが何かしらして、毎日毎日この社会が成り立つためしていることがあるわけです。それが社会の営みの場合もあるし、自然の営みの場合もあるし。

「はげめ」というのは、真剣に取り組む、イヤイヤでやらない、いい加減にしない、精一杯やる、誠心誠意を傾ける、という意味ですね。これも、翻訳しづらい日本語です。よく、時代劇でお殿様から国を任されたり、新しい役職に就いた時に、殿様が家来に向かって「励め!」っていいますよね。

こういった五戒で使われている「業をはげめ」を翻訳しようとすると、簡単には翻訳出来ないのが分かります。欧米文化では「業」という概念がないのですね。無理に翻訳しようとすると、例えば英語では「work」とか「duty」とかすごく限定された単語しかありません。

ここで私は最近ハタと気がついたのです

まあ、これは仁科説になるかもしれませんが、実は「日本人がよく働く」とか「仕事中毒」だと批判される背景には、皆さん気がついてないけれども、この「業」の概念が文化として暗に組み込まれているからではないでしょうか。欧米の文化は、社会と一般個人とをかなり区別します。つまり、パブリックとプライベートを分けて考えたり、仕事は仕事・家庭は家庭と分離したりします。ですから、仕事というのは、あくまで自分が雇用主と契約して、自分は被雇用者として、契約上働く、そういう概念が強いのではないでしょうか。ところが、日本人の場合は、もともと「業」の概念がありますから(顕在意識にはそれはないですが、潜在意識に埋め込まれています)、被雇用者の立場であっても、それを自分が生きる上での全身全霊を書けて行う行為として、感じる傾向があるのではないでしょうか。

一般的に、欧米では「仕事」は、生活してゆくうえでやむなく働くもの、自分の生きがいとは違う、仕事とは嫌なもの、そういう傾向があるのではないでしょうか? ところが、日本では「仕事=人生の目的」、自分の生きがいが仕事であるべきだ、また、仕事が自分の生きがいであるべきだ、そういう考えが古代からあるのではないでしょうか? これは、日本文化の大きな特徴ではないでしょうか。

もちろん、欧米でも日本人のように働く人はいますし、日本人でも家庭は家庭、仕事は与えられたデューティとして割り切る人もいますが、いまは全体的な傾向を論じています。

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