雑感: 当たり前と奇跡の狭間で

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当たり前と奇跡の狭間で

■ 当たり前は麻痺の感覚 ■

私達は、毎日生活していて、「来るのが当然」「あるのが当然」「動くのが当然」「明日という日が来るのが当然」など無意識に当たり前として生活している面が多々あります。実はこういった認識は、深いところまで考えると、大きな問題をはらんでいると思います。

当たり前になってしまうと、何もトラブルがない普段の生活の中でも、感謝が起こらなくなります。究極的には、私達の存在、そして宇宙の存在自体が当たり前ではないという事に気がつくのも大切なことだと思います。

私達の感覚は麻痺している
私達は普段は意識が希薄ですが、今回の地震はまさにそのことをごくごく普通の人にも痛感させる事態になりました。

これらは、誰かがちゃんと働いて作ったり、維持したりしなければ成り立たないものですが、私達はそれがまるで無償で、あるのが当たり前という感覚で暮らしています。

上記の便利さは、実は明治初期まで遡れば、一つとして存在していませんでした。昔はそんなものなくてもちゃんと暮らしていたものでも、単に「便利」という理由で導入されて、その便利性のために大きな犠牲を払っていることを認識していない場合も多々あります。

今回の原発の事故でも、皆さん東電のことを非難されていますけれども、節約すれば必要ない程度の電気を作るために、非常に危険性の高いシステムを維持せざるを得なかったのは、それは私達全員に責任があるわけですし、国や電力会社が作り上げた「安全神話」を信じてしまった国民は、自分自身で考えて判断しようという意識的な努力がなかったという点も大いに非難されるべきでしょう。やぶ蛇になるものにはあえて触れたくない、まあ安全なんだろうと暗に自分に言い聞かせていた部分は、どなたでも多少はあったのではないでしょうか?

感謝もなくなる
当たり前という感覚が強いと、感謝の気持ちがなくなってしまいます。これも非常に問題です。当たり前なものは、必ずいつか当たり前でなくなる時が来ます。そのときになると、人によっては大パニックになったり、ウツ的な状態になったり、体調不良になったりが起こります。もちろん、今回の地震で自分の知り合いや親戚で命をなくされた人や被災された人がいる場合は、それは自然な結果ですが、ニュースを見たりとか、計画停電があったりだけで、そういったメンタルが影響が強く出るのは、普段の「当たり前感覚」が打ち崩されたということに他なりません。

当たり前のことはなに一つとしてない
もっと長いタイムスケールで考えると、この地球上で当たり前の事なんて、たったの一つもないことが分かります。私達が生きてゆける酸素がある大気というのは、数億年してしまえば気候変動によって、なくなっているようです。何十億年と経てば、今度は太陽の寿命というのも考えなければいけなくなります。今、私達が全く無意識で暮らしている、この地球や太陽系は、宇宙の営みからすれば、ホンの一時期、ホンの一点の話に過ぎません。

明日が来ることさえ当たり前ではない
レベルの高い低いはともかくとして、私達のような知的な生き物がいる宇宙環境は、どちらかという圧倒的に少数派です。地球のような惑星を探すのは簡単ではありません。その地球といえども、今の大気の状態になったのは、本当にごく最近で、たった1億年遡れば、私達が生きてゆける状態ではありません。適当な温度で、適当な酸素があり、というのは実は地球の歴史でいえば、あっという間の出来ごとです。朝起きて、空気が吸える、凍え死なない、暑くて死なないというのは宇宙的にいえば、それは大奇跡なのです。明日という日が来ることさえも、長い目で見れば非常に特殊なことといえます。

時間や空間も当たり前ではない
宇宙論的に言えば、現在の私達の宇宙はビッグバンで始まったというのは科学的には、かなり立証されています。しかし、そのビックバンがどうやって始まったか、さらに次元を超えた宇宙のスケールで考えると、この時間と空間というモノがあること自体、貴重なことなのかもしれないのです。今の形の空間そして時間、その中に含まれる物質があること自体、当たりまではないと言えます。

失わないとわからない
恐ろしいことは、私達はすぐにこういった「当たり前」の事に慣れてしまって、感謝を忘れ、そしてたまに、それが当たり前でなくなったりすると、激怒したり、パニックになったり、最高に不幸だと感じたりします。非常に残念なことですが、私達人間の知能レベル程度では、当たり前のことが、当たり前でなくなったときに、始めてその貴重さ、大切さ、尊さに気がつくようになっています。失ってみないと、その大切さが分からない、それが私達人間の常のようです。

■ すべてが奇跡 ■

逆に考えると、この時間、空間、宇宙、太陽系、地球、生き物が住める環境、今日があって明日があるということ、私達自身の存在、これらすべてが奇跡といえます。スイッチを押すと電気がつく、蛇口をひねると水が出る、電車が動く、車が走る、これらはすべて奇跡です。龍馬が現代にタイムスリップすれば、ビックリこえて気絶するかもしれません。これは、このたった100年に起こったことです。

生き物はとりわけ奇跡
物理的な特性、化学的な特性は、少数の基本法則が分かれば、あとはかなり演繹的に導かれることが多いので、出発点の基本法則は奇跡性を感じさせる部分が多いですが、私の印象では生物はかなり違います。
解剖生理学を学ぶと、人の体の複雑さ、奇抜さ、巧妙さなど、これは奇跡があって動いているとしか思えない部分が多々あります。さらに、発生学(卵子、精子から始まって妊娠、出産の部分)を勉強すると、一生にたった数回しか起こらないことが、こうも微妙で綱渡り的なプロセスなのに、ほぼ確実に起こって、ちゃんと生き物が生まれてくるというのを、つくづく奇跡だと感じますした。奇跡以外の何者でもないと思います。始めて発生学を学んだ時は、毎日毎日驚きで、涙さえ出そうになりました。普段は簡単に殺してしまう蚊やゴキブリでさえも、私達の英知を遙かに超えた奇跡そのものなのです。

生活そのものが奇跡
私達生き物の存在が奇跡であることに始まって、人間がこの地球に打ち立てた文化や技術もすべてが奇跡です。科学技術が発達していない時代は、自分たちと自然環境の距離が近い関係にありました。
特に日本人の感覚は、自然の中で生きている、自然の恩恵を受けている、自然=神という神道の心がとっても豊かでした。つまり、当たり前を当たり前と思わないで、しっかりと奇跡と捉えるというのは、本来は日本文化の良い点であったのです。

しかり、科学技術が進んで、日常生活との解離が起こります。「放っておいてもお金さえ払えば」電気が来る、ガスが来る、水が出る、食べ物が買える、電車が動く、車が走る、そういう毎日だと、それがすべて自然環境や他の人たちが一生懸命努力した結果であると言うことを感覚的に忘れてしまいます。でも、これらはすべて100年前までは無かったり、希だったのです。私達の存在自体が奇跡であるし、私達が毎日生活していること自体が、すべては奇跡なのです。

当たり前=奇跡
言葉の危うさというのも分かると思いますが、「当たり前」と思ったことは、実際にはすべてが「奇跡」だということです。どんなことでも「それは当たり前でしょ!」と思ったことがあったら、「イヤー、それは奇跡なんだ・・・」と考え直してみると、深い部分での理解が得られたり、気づきが起こると思います。そして、今まで麻痺していた感謝の気持ちを回復することが出来るのではないでしょうか。

五感を大事に
「当たり前感覚」をリフレッシュする別の方法として、レイキのレベル3でお教えしている五感を常に働かせるということも大事ですね。赤ちゃんのようになって、自分の、耳、目、鼻、舌、皮膚を敏感に活用して行くと、当たり前感覚は低減して行きます。

私達はこのように、当たり前と奇跡の狭間で、右往左往して生きている小さな存在なのです。そして、奇跡と感謝を忘れないように努めていれば、あるべき方向性というのも、見えやすくなるのではないでしょうか・・・。そうであってほしいものです。

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