戦争への道

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香りの森

霊気以前の手当療法

霊気以前にもいわゆる手当療法的な手法は太古からあったようですし、世界の色々なエリアであったようです。続きを読む・・・「霊気以前の手当療法」

 戦前

霊気の始まり

霊気は臼井甕男(ウスイミカオ 1865-1926)先生が1922年に京都の鞍馬山にて断食修行を行なって下山するときに見つけ、霊気治療として確立しました。続きを読む・・・[霊気の始まり]

当時の日本

明治~大正~昭和初期の戦前の日本については、非常に多くの点が誤解されている部分があると思います。続きを読む・・・[当時の日本]

当時の霊気

どういう経緯だったのか興味がありますが、霊気は当時の海軍の中で認知を得ていたようです。続きを読む・・・[当時の霊気]

霊気を元にした諸派

このほかに、臼井霊気をベースにした手当療法として「手のひら療治研究会」を始めた江口俊博氏、「富田流手あて療法」の富田魁二氏などがありました。続きを読む・・・[霊気を元にした諸派]

霊気と鞍馬

臼井先生が霊気を見つけた鞍馬・鞍馬寺はレイキの業界では特別なステータスがあるように思います。しかし、続きを読む・・・[霊気と鞍馬]

臼井霊気療法学会

学会は臼井先生が霊気を始めた当初より作られた非常に歴史の古い組織です。続きを読む・・・[臼井霊気療法学会]

戦争への道

戦争のことはたぶん、レイキの書籍に記されているよりもはるかに重くのしかかっていたと思います。なぜなら、霊気は当時海軍の内部で認知されており、実際に臼井霊気療法学会の会長には海軍少将が歴任されていました。林先生自身も海軍出身です。(実は1930年代の当時の日本海軍を指導したというアメリカ人の方から直接にうかがった話ですが、当時の海軍は技術も考え方も極めて進歩的で、たぶん世界一の実力を持っていたのではないかと評されておりました。)林先生は高田先生との関係で、ハワイでの活動もされておられましたが、もしも日米開戦となった時は、ハワイは最大の攻撃目標になることは日米の間にあるハワイの地理的重要性からいって明らかだったのではないでしょうか。考えても見てください、自分が教えて育てた弟子の、そして自分が霊気を広めて行ったハワイが、臼井霊気療法学会とつながりの強い霊気を認知している日本海軍が、攻撃して戦場にしてしまったらと、林先生の心中はいかばかりのものであったかと心が痛くなります。林先生は1940年に自殺でなくなったと伝えられていますが、霊気・海軍・戦争・ハワイの渦に耐えられなくなったのかもしれません。

1931年 9月18日 満州事変
1936年 2月26日 2.26事件(陸軍クーデター未遂事件)
1937年 7月 7日 日華事変(日中戦争)
1937年 2月13日  日本軍、南京を占領
1938年 4月 1日  国民総動員法

1939年 4月 5日  映画法公布、事前検閲の強制
1939年 6月16日 ネオン、パーマ廃止
1939年 9月 1日  ドイツ空陸軍がポーランドに侵攻(第2次大戦勃発)
1939年10月18日  政府が物価、賃金などを一斉に凍結

1940年 2月13日 米穀配給統制規則
1940年 5月10日  ドイツ、ベネルクス3国を爆撃
1940年5月10日 林忠次郎没
1940年 6月 1日  6大都市で砂糖、マッチの切符制実施
1940年 6月 3日  独空軍、パリを爆撃
1940年 6月10日  イタリア、英・仏に宣戦布告
1940年 7月 7日  ぜいたく品の製造販売を制限
1940年 8月 1日  東京の食堂・料理店、米食使用禁止、販売時間も制限
1940年 8月 8日  小麦粉等配給統制規則
1940年 9月23日  日本軍が北部フランス領インドシナに進駐
1940年 9月27日  日独伊三国同盟
1940年10月12日  大政翼賛会結成
1940年11月 2日  国民服令が公布,国民服着用が奨励
1940年12月      言論統制・世論誘導を目的に情報局が設置

(1940年は近衛文麿内閣によって日本が急速に戦争体制に入った年
でした。「ぜいたくは敵だ!」など精神面でも国民動員が始まって
行きました。欧州ではドイツ・イタリアがすでに戦争を始めており、
日本は日独伊三国同盟を経て英米とは完全に敵になります。)

1941年 7月     日本軍が南部フランス領インドシナにも進駐
1941年10月    東条英機内閣成立
1941年12月8日 日本海軍の真珠湾攻撃(太平洋戦争)

(三国同盟が締結する以前は陸軍が中国で積極的に戦争を進め、アメリカ
との戦争にも積極的でしたが、海軍は対米戦争は避けるべきだとして
いました。2.26事件をはじめとする右傾化は陸軍が積極的に進めて
来ました。真珠湾攻撃を立案し指揮した山本五十六司令官は実は最後
まで対米開戦に反対しました。対米開戦に反対する山本司令官自身が
開戦の火ぶたを切らなければならなかったのは歴史の大きな皮肉です)

1945年4月~6月 沖縄戦
1945年7月26日 米英中3ヵ国が日本に無条件降伏を要求
1945年8月 6日 米軍が原子爆弾を広島市に投下
1945年8月 8日 ソ連は対日宣戦布告
1945年8月 9日 米軍が原子爆弾を長崎市に投下
1945年8月15日 日本は連合国に無条件降伏(終戦)

高田先生は林先生の死も知っていましたし、自分が駆使している霊気とつながりのある日本海軍が自分の故郷を攻撃し、多くの人が殺されたということを体験することになります。1941年12月8日真珠湾攻撃。自分が使っているこの日本の霊気で多くの人を助けてきたのに、その日本が自分たちの同胞を殺してゆくのを見るのは一体どんな気持ちだったのか想像もつきません。この戦争中や戦争直後の高田先生の活動や気持ちに関しては残っているものが、一切見あたりませんので、想像するだけですが。

普通の人であれば自分の同胞が殺され、攻撃を受ければ、霊気を棄ててしまっても全然おかしくはないと思います。日本の霊気という風に標榜すれば、それはおそらく周辺のほとんど全ての人の憎しみや攻撃を受けることになったに違いありません。「Remenber Pearl Harbor」として、意気高揚の象徴にもされてきたそのハワイで、その中でも霊気を止めなかった高田先生は、おそらく霊気をその本質から良く理解されて、いたのだと思います。もちろん高田先生をそうさせた霊気のものすごい真実・力もありますが、苦渋の思いで耐えた高田先生のエネルギーがもしなければ、今のレイキはたぶん存在していないと思います。

林忠治郎先生

林忠次郎先生(1879~1940)は神奈川県出身で、西洋への霊気の伝搬はこの林先生が、ある日系ハワイ人の女性を弟子として育てたことで起こりました。続きを読む・・・[林忠治郎先生]

西洋への伝搬

霊気をハワイへ伝え、その後全世界に広まるきっかけを作ったのはハワイの日系二世の高田はわよ先生でした。続きを読む・・・[西洋への伝搬]

 戦後

戦後の高田先生

高田先生が戦時中、そして戦後どのように霊気・レイキを行なっていたのかという記録はありませんが、続きを読む・・・[戦後の高田先生]

西洋レイキ

高田先生自信は伝統霊気を習得していたのに、お弟子さんに伝えていったレイキは多少味付けの違うものになっていました。続きを読む・・・[西洋レイキ]

高田先生の教え

高田先生→22人のマスターとレイキが伝わったときに、どのような技法が伝えられずにいって、どのような西洋レイキの要素が付け加わっていったのか、続きを読む・・・[高田先生の教え]

高田先生 VS 臼井霊気療法学会

歴史を調べて感じたことで、とても印象に残ったのは高田先生が伝統霊気を修正し普及させたことと、かたくなに伝統?を守る臼井霊気療法学会の対比でした。続きを読む・・・[高田先生 VS 臼井霊気療法学会]

日本の西洋レイキ

日本に最初に西洋レイキが逆輸入されたのは、ニューヨーク在住ジャーナリストでアメリカレイキ団体 Radiance Technique のレイキティーチャーの三井三重子氏でした。続きを読む・・・[日本の西洋レイキ]

レイキと霊気の統合・比較

アメリカで広まった高田先生を元にした西洋レイキは、少しづつ進化しながら世界中に広まってゆきました。しかし、その一方で伝統的な霊気がどのようなものであったのかという疑問は、続きを読む・・・[レイキと霊気の統合・比較]

もしも、上記の内容で、お手持ちの資料やご存じの史実と違うということがありましたら、ご指摘して頂けるとありがたいです。ただ、多くのというか、ほとんどの書籍は単に既存の本やネットの孫引きで、本当の歴史的資料ではありませんので、注意してください。霊気・レイキの歴史で、本当に自分の足を使って史実を確かめられているのは、今のところ Frank Petterさんと、土居裕先生だけだと思います。そのほかに、臼井霊気療法学会の作ったものが、いくつか流出しているのがあります。私も今は日常の業務が忙しすぎて、歴史を探索する時間がありませんが、いつかそういうことを是非やってみたいです。

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