伝統霊気当時の日本

武蔵野市境5-18-13
 0422-56-8230
  お問合メール
香りの森

霊気以前の手当療法

霊気以前にもいわゆる手当療法的な手法は太古からあったようですし、世界の色々なエリアであったようです。続きを読む・・・「霊気以前の手当療法」

 戦前

霊気の始まり

霊気は臼井甕男(ウスイミカオ 1865-1926)先生が1922年に京都の鞍馬山にて断食修行を行なって下山するときに見つけ、霊気治療として確立しました。続きを読む・・・[霊気の始まり]

当時の日本

明治~大正~昭和初期の戦前の日本については、非常に多くの点が誤解されている部分があると思います。これは霊気とは直接は関係ないですが、霊気も含めて我々日本人のルーツというか、近代的な日本の重要な側面です。学校では、戦前の日本は明治憲法に象徴されるように興国史観や天皇崇拝に支配されていた暗黒の時代だったかのような印象を植え付けられている部分が多いです。これはかなり現実とはかけ離れた間違いに近いものだと思います。実は近代日本のルーツというのは戦後ではなくて戦前特にこの明治~大正~昭和初期にあるのです。これは私の長いテーマでもあり、ここで書いてゆくのは霊気とは少し離れてしまいます。政治的な側面では、あまり好きなキャスターではありませんが、坂野潤治, 田原総一朗「大日本帝国の民主主義―嘘ばかり教えられてきた!」という本もあります。

この時期にどういうことが起こっていたのかを示す一つのデータとして、私が趣味でやっている写真、日本のカメラメーカーの創業を見てみましょう。

コニカ   「小西六兵衛店」1873年に写真材料で創業 1936年小西六写真工業に
ペトリ   「栗林写真工業」    1907年に創業
ニコン   「日本光學工業株式會社」1917年に創業 主に海軍向け光学兵器
オリンパス 「高千穂製作所」    1919年に創業 顕微鏡の国産化
ペンタックス「旭光学工業合資会社」 1919年に創業
チノン   「三信製作所」     1923年に創業
コンゴー  「山崎光学研究所」   1924年に創業
ミノルタ  「日独写真機商店」   1928年に創業
トプコン  「東京光学機械株式会社」1932年に創業 主に陸軍省向け照準眼鏡
タチハラ  「タチハラ写真機製作所」1933年に創業 大判カメラ
フジフィルム「富士写真フイルム」 1934年に大日本セルロイドから分離独立
キャノン  「精機光学工業株式会社」1937年に創業
リコー   「理研光学工業」   1936年に理化学研究所からのスピンアウト

戦後メーカーは ミランダ、マミヤ、ゼンザブロニカ、
ヤシカ(京セラへ吸収)、コシナ、タムロンなど

カメラは日本の精密機器のほんの一握りの業界ですが、ある意味それを象徴しているとも言えます。まさにこの霊気の時代にちょうどこれらのメーカーが生まれて育っていったのが分ると思います。私はニコン使いではないですが、ニコンが海軍の光学兵器(高射砲など)メーカーとして出発していたのは知りませんでした。他の産業や文化の分野でもどうだったのか徐々に調べてみたいと思います。

別の視点ですが私の住んでいる武蔵野市の小学校の開設を見てみました。

1873年 現在の第一小学校、第二小学校が小学校として設立
1889年 吉祥寺、西窪、関前、境が1村の武蔵野村となる
1899年 吉祥寺停車場 開設
1930年 三鷹駅 開設
1930年 第三小学校 開校
1941年 第四小学校 開校

となっており、かなり古い時代にすでに出来ていたことが分りました。残りの8つの小学校は戦後に出来ました

当時の霊気

どういう経緯だったのか興味がありますが、霊気は当時の海軍の中で認知を得ていたようです。続きを読む・・・[当時の霊気]

霊気を元にした諸派

このほかに、臼井霊気をベースにした手当療法として「手のひら療治研究会」を始めた江口俊博氏、「富田流手あて療法」の富田魁二氏などがありました。続きを読む・・・[霊気を元にした諸派]

霊気と鞍馬

臼井先生が霊気を見つけた鞍馬・鞍馬寺はレイキの業界では特別なステータスがあるように思います。しかし、続きを読む・・・[霊気と鞍馬]

臼井霊気療法学会

学会は臼井先生が霊気を始めた当初より作られた非常に歴史の古い組織です。続きを読む・・・[臼井霊気療法学会]

戦争への道

戦争のことはたぶん、レイキの書籍に記されているよりもはるかに重くのしかかっていたと思います。続きを読む・・・[戦争への道]

林忠治郎先生

林忠次郎先生(1879~1940)は神奈川県出身で、西洋への霊気の伝搬はこの林先生が、ある日系ハワイ人の女性を弟子として育てたことで起こりました。続きを読む・・・[林忠治郎先生]

西洋への伝搬

霊気をハワイへ伝え、その後全世界に広まるきっかけを作ったのはハワイの日系二世の高田はわよ先生でした。続きを読む・・・[西洋への伝搬]

 戦後

戦後の高田先生

高田先生が戦時中、そして戦後どのように霊気・レイキを行なっていたのかという記録はありませんが、続きを読む・・・[戦後の高田先生]

西洋レイキ

高田先生自信は伝統霊気を習得していたのに、お弟子さんに伝えていったレイキは多少味付けの違うものになっていました。続きを読む・・・[西洋レイキ]

高田先生の教え

高田先生→22人のマスターとレイキが伝わったときに、どのような技法が伝えられずにいって、どのような西洋レイキの要素が付け加わっていったのか、続きを読む・・・[高田先生の教え]

高田先生 VS 臼井霊気療法学会

歴史を調べて感じたことで、とても印象に残ったのは高田先生が伝統霊気を修正し普及させたことと、かたくなに伝統?を守る臼井霊気療法学会の対比でした。続きを読む・・・[高田先生 VS 臼井霊気療法学会]

日本の西洋レイキ

日本に最初に西洋レイキが逆輸入されたのは、ニューヨーク在住ジャーナリストでアメリカレイキ団体 Radiance Technique のレイキティーチャーの三井三重子氏でした。続きを読む・・・[日本の西洋レイキ]

レイキと霊気の統合・比較

アメリカで広まった高田先生を元にした西洋レイキは、少しづつ進化しながら世界中に広まってゆきました。しかし、その一方で伝統的な霊気がどのようなものであったのかという疑問は、続きを読む・・・[レイキと霊気の統合・比較]

もしも、上記の内容で、お手持ちの資料やご存じの史実と違うということがありましたら、ご指摘して頂けるとありがたいです。ただ、多くのというか、ほとんどの書籍は単に既存の本やネットの孫引きで、本当の歴史的資料ではありませんので、注意してください。霊気・レイキの歴史で、本当に自分の足を使って史実を確かめられているのは、今のところ Frank Petterさんと、土居裕先生だけだと思います。そのほかに、臼井霊気療法学会の作ったものが、いくつか流出しているのがあります。私も今は日常の業務が忙しすぎて、歴史を探索する時間がありませんが、いつかそういうことを是非やってみたいです。

香りの森とは レイキ講習
お申込み ヒーリング

Page Top