手のひら療治の会趣意書

武蔵野市境南町5-3-26
 0422-34-7445
  お問合メール
香りの森

昭和三年(1928年)十月 江口俊博

科学文明の進展は医学の方面にも絶えず新理論と新研究法とを提供し治療の方面にも続々新案が採用されるありさまですが、医業国営論だの医薬分業論だのがかまびすしく唱えられ、また一方には皇漢医学の新研究が勃興したり、いろいろの民間治療がしきりに流行したりするのは、畢竟するに医療の方面に重大な問題がまだまだたくさん存在しておる証拠だと思います。単に医療費の点だけについて見ましても、中産以下の家庭ではその負担になかなかの困難を感じ、そのため現代医学の恩恵に良くする機会をほとんどもたない家庭さえおびただしく存在しておる現状です。国民保険家庭医療の現在の組織には改良補足を要することの少なくないのはこの一事によっても明らかですが、しかしこくもん生活のこの欠陥を除くことはけっして容易なことではありません。

ところが幸いなことに私どもは、近年、図らずもある簡易確実な病気治療の方法を見つけ出しました。手のひらを身体の故障ある部分にあてるだけで種々な病気が治るのです。人間の手のひらには、犬や猫が傷口をなめて傷を治しうるように、病気の快癒を促進させる機能があるようです。手のひらで病気を治すことは昔からずいぶん行われていたようでありますが、たいていは偉い人格者、聖者といった人だけに出来る霊能として、あるいはまた特殊の行者に限り習得の出来る神秘の力だとして極めて狭い範囲の人たちだけがやったことで、広く一般家庭の実用にはなしえないでいました。それで今日の科学の時代になりましては迷信類似のものとして誤認され、あるいは混同され、有識者達からはとかく迷信扱いを受けほとんど問題にもされないありさまでありました。しかるに私どもが自ら実地修得してやってみましたところ、、あにはからんや、これは人間自然の具有している機能でありまして、あるちょっとした方法を施せば、誰の手のひらからもある一種の力が発動し、放射するのでありました。そうして一旦発動すれば再び元に戻ることがなく、その手を体の故障のある部分にあてると、人体自然の治癒能力がめきめき促進されて、病気がひとりでに治るのだということが分かりました。しかもこの方法は薬を飲ませるでもなく、医療的の処置をするでもなく、ただ静かに手をあてているだけでありますから、人体の組織機能などについてなんらの理解もない赤の素人がやりましてもいささかの危険もありません。ですから医家の診断治療と相まち相協力してやりますと、看護法としても驚くべき効果を現します。しかも、もっとも都合のよいことに、極めて簡単に確実に何人の手からもその力を発動させることが出来ることです。一日三四十分間ぐらいずつ三日続けて修行さえすればたいてい役に立つだけの力が発動します。そうして一人が一度に二三十人ぐらいずつ発動させることが出来ますから、私どもはどうかこの力を広く各家庭に普及させて、現在医学及び医療の力の及ばないところを補い、同時に一般家庭の医療費を軽減してあげたいと考えます。

なおこの療法が普及しますと、治療以外に貴重な思想的効果が伴うことと思います。それはこの療法は手を直接に患者の体に触れ、かつ割合に長い時間がかかりますから、患者と療治する人の間に医療ではとうてい期待できないような親しみが生じ、また治ったときの感謝の情も自然深くなるようです。故に親子夫婦兄弟というような近親者の間にこの療法が行われますと、知らずしらずに情愛が深まり、家庭が自然円満になります。今の社会はややもすると、人と人が抗争することこそ人生社会進展の法則なのだとする傾向があり、世の中がなんとなく潤いを失いゆく状況でありますから、苦病に悩む人のためにその貴い時間をなげうって快癒を助けようというようなやさしい感情を涵養するという、この療法の普及は、刻下の緊急問題たる思想善導の実行手段として絶好のものではないかと思います。過労過敏と偏倚矯激とは現代文明の通弊でありますが、それは多くは体の悪いのと平行しておるのでありますから、もし各家庭において親近者がたがいに温かい心で治しあうとしましたら、日本精神本来の純朴性をとり返す一助ともなり、国民生活の上で貢献するところ決して少なくないと思います。

手のひらで療治することは決して私ども独特のものではなく目下幾十種あるか分らないくらい行われておりますけれども、他の療法はあるいは入会の条件が困難なため、あるいは修行が容易でない等のために広まる性質を欠いていますから、まず私どもが先駆けて独特の簡易さと確実さとをもって、各家庭に広くこの療法を送り込もうと決心したのであります。

昭和三年(1928年)十月 江口俊博

香りの森とは レイキ講習
お申込み ヒーリング

Page Top