江口俊博氏の流れ

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江口俊博氏の手のひら療治

江口俊博氏 : 臼井霊気療法学会に2年在籍し、臼井霊気を学んだ後に退会・独立して、手末の道として、手のひら療治を普及してゆく。江口俊博(トシヒロ、1873~1946)→三井甲之(コウシ、1883~1953)、宮崎五郎(?~1984)→喜島康(コウ、女性、1931~)、三橋一夫(1928~)などと現存している。

この部分の資料は主に三橋 一夫 (著)「手のひらが病気を治す」をもとにしています。霊気・レイキの本で江口系の記述をしたものもありますが、正確さではこの本は一番優れているとも思います。(ただし、この三橋氏は音楽評論家で臼井霊気やレイキのことはまったく調査しないで、この本を書いています。)

江口俊博氏は明治6年、1873年に陸軍軍人を父として熊本県で生まれ、幼少から青年期を怪我・脳疾患・肋膜炎などを患い過ごしました。1897年に東京帝国大学に入学、卒業後は広島県・長野県・甲府などの中学校長を歴任してゆきました。そして、53歳の1925年に田村というご婦人の紹介で臼井霊気療法学会に入門。この時の入門料50円を払いますが、この高額な入門料に対して大きな疑問をいただいています。(こういった疑念は富田魁二氏も同様でした) 一部の書籍、例えば「Reiki Sourcebook」等では江口氏は臼井先生と友人で1921年に彼と学んだとありますが、それはたぶん誤解でしょう。江口氏が入門した時はまだ臼井先生は生きていたわけですが、その関係は不明です。そして2年後の1927年に退会します。もともと霊気は各人に備わっている力なのにお金を取るのはおかしいと確信し退会し、「手のひら療治」として独立しました。すると、非常に多くの人が入門に訪れ、拡大してゆきます。

江口氏の考えには非常に共感する部分が多数ある一方、手のひら療治でお金をもらってはいけない、お金をもらうと相手の「めぐり」(輪廻)も引き受けてしまうという考え方をして、これはお弟子さんの宮崎五郎にも引き継がれています。この系統では、臼井霊気のように精神面に作用するという感が方が明白ではなく、宮崎氏のように手当てに入る前に「交流」ということをして、相手をくつろがせ安らぎの状態に入り、その過程で「そういう人に会うと、その雰囲気にとっぷりとつかりますから、それを受ける」という表現をしています。江口氏も宮崎氏も相手の悪いものをもらうことがあると言っていますが、これはこのシステムの欠陥に他なりません。

私からすると、江口氏の手のひら療治はシステムとして確立しておらず、送り手の精神性や悟りを得る重要性は認識しながらも、それを得るプロセスがアバウトなままにされていると感じます。臼井先生がすごいと思うのは、その最初から悟りという側面を前面に出されていて、悟りを開こうというプロセスで霊気療法を確立されて行った点だと思います。実は、江口俊博氏→三井甲之氏の手のひら療治では詩を詠むことで精神性や悟りを深めてゆくと言うことが行われますが、これはかなり特殊なやり方だと言わざるを得ません。

手あて療法は霊気と同じだと考える方もいますが、その微妙なところで重要な違いがあります。それは手あて療法は送り手の「手」の存在感が大きいことです。臼井霊気の場合は、手はあくまで霊気の出口の一つであって、霊気と送り手とは独立した存在であり、受け手に作用をおこすのは「手」ではなくて、霊気なのです。江口俊博氏の系統では文献を読むと、何が主人公かという点が曖昧で、送り手の手ということに意識がありすぎで、「送り手が治す」という潜在意識から解放されてないと思います。その点、臼井霊気の場合は、送り手の手そのものは重要ではなく、それから出ている霊気にポイントが置かれていますので、「送り手が治す」という潜在意識から解放されています。臼井霊気ではまさに霊気という存在を明確に認識して利用しています。これは微妙な点ですが極めて重要なポイントではないかと思います。

もう一つ江口俊博氏の手のひら療治で非常に気になることは、エネルギーの流れの基本が左手でエネルギーを受けて右手で送るという形です。宮崎氏が提唱している「呑吐の呼吸」という練習法も左手で太陽エネルギーを受け、右手で宇宙に返すという形です。臼井霊気の基本は発霊法やアチューメント技法そのものに現われているように、基本は頭頂から取り入れる形です。頭頂に霊気エネルギーが入って来るのは、その人の精神性や霊性にとって良い作用がありますし、常に高いエネルギー状態を維持するのにも大事です。手のひら療治ではこの辺が欠落しており、「両手は使わない方がよい」とか、相手の悪いものをもらったりするということに陥ってしまったのではないでしょうか。

もう一点、少しうがった見方になりますが、江口俊博氏の場合は2年経って臼井霊気療法学会を退会して手のひら療治研究会を立ちあげると、直ぐに数百人の入門者を迎えるなど、十分な修業期間がないのに膨大な人たちに普及を始めてしまったので、自分の療治システムの基礎が確立していないまま、前に進んでいったのではないかという気もします。

江口俊博氏の手のひら療治は1929年に「日本及日本人」という雑誌で手あて療法が特集されたことによってブレークします。この雑誌を編集して記事を書いたのが、江口俊博氏の門下の三井甲之氏です。三井甲之氏は文学者・歌人で今日の言い方で言うと右翼イデオローグになります。(右翼左翼という言い方は当時の日本に簡単には当てはまらないのですが)この雑誌が出てから東京を中心としてセミナーを開催して、一日に数百人のレベルの人が集まってきます。

わたしは江口俊博氏の手のひら療治を特徴づけている大事な要素の一つは三井甲之氏だと思います。三井氏の書いた本「手のひら療法」は現在ボルテックスさんから復刻されていて、非常に面白い本ですが、本のあちこちから私には心地よくないものが伝わってきます。手のひら療治をシキシマノミチ、タノスエノミチとして日本独自のもとして捉え、明治天皇を通して神が働きかけているような感じ方が基本になっています。直接の記述があるわけではありませんが、この本の内に日本人をことさら特別視する深い思想を感じとるのは私だけでしょうか。三井甲之氏は歌人であるために明治天皇御製の研究も行っております。以降、江口俊博氏の「手のひら療治研究会」を継承し行く嫁婿の宮崎五郎氏も同じく歌人であり、また現在手のひら療治を継承している宮崎氏の内弟子の喜島康さんも歌人です。この系統の文献・書籍には詩が至るところに出てきます。私のようにこういった分野で無学のものはかなり引いてしまう感じです。

江口俊博氏の系統で欠けているのは、相手の精神面・霊性面に対して手のひら療治を駆使していない面だと思います。臼井霊気では、もともと霊気の効果として心霊的作用(心や魂への作用)を第一にあげているのがまさに大きなポイントだと思います。江口氏や宮崎氏の文章を読むと、手のひら療治で肉体的な面は(一時的に)直せるかもしれないが、心の問題が直らなければダメであり、しかし心に作用させるのは手のひら療治を使っていないのですね。レイキの心への適用はテクニックとしては西洋レイキになって大きく拡張された部分とはいえ、基本的な考えや性癖治療などがもともとの臼井霊気に備わっていたもので、その点は大きな違いだと思います。現在の継承者の喜島康さんは「私は宮崎先生が説かれたことを実行しない人には手のひら療治はやりません」と断言しているそうですから。受ける側の人に受ける資格を要求するのは本末転倒ではないかと思います。

少し別な流れになりますが、ラディアンステクニッークの講師として、西洋レイキを日本に初めて紹介した三井三重子氏は、宮崎五郎氏から手ほどきを受けたという記述がある本もあります。

とはいえ、江口俊博氏の手のひら療治は手あて以外にも、独自の呼吸法、食養、和歌、など臼井霊気にはない興味深いアプローチがあり、スピリチュアルな面でも深い理解があると思います。ご興味のある方は、前出の三橋一夫氏や三井甲之氏の文献をご覧になることをお薦めします。

最後に、江口俊博氏が書いた「手のひら療治の会趣意書」という文章をご紹介します。これは私は大好きな文章で名文だと思います。ことごとく納得してしまう内容ですし、当時の社会情勢が書かれていますが、「何だ今と全然変わっていないじゃないの」というある意味、進歩のなさ?、人間社会の普遍性?を強く表しています。是非、ご一読下さい。

江口俊博 「手のひら療治の会趣意書」

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