高田先生の教え

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香りの森

霊気以前の手当療法

霊気以前にもいわゆる手当療法的な手法は太古からあったようですし、世界の色々なエリアであったようです。続きを読む・・・「霊気以前の手当療法」

 戦前

霊気の始まり

霊気は臼井甕男(ウスイミカオ 1865-1926)先生が1922年に京都の鞍馬山にて断食修行を行なって下山するときに見つけ、霊気治療として確立しました。続きを読む・・・[霊気の始まり]

当時の日本

明治~大正~昭和初期の戦前の日本については、非常に多くの点が誤解されている部分があると思います。続きを読む・・・[当時の日本]

当時の霊気

どういう経緯だったのか興味がありますが、霊気は当時の海軍の中で認知を得ていたようです。続きを読む・・・[当時の霊気]

霊気を元にした諸派

このほかに、臼井霊気をベースにした手当療法として「手のひら療治研究会」を始めた江口俊博氏、「富田流手あて療法」の富田魁二氏などがありました。続きを読む・・・[霊気を元にした諸派]

霊気と鞍馬

臼井先生が霊気を見つけた鞍馬・鞍馬寺はレイキの業界では特別なステータスがあるように思います。しかし、続きを読む・・・[霊気と鞍馬]

臼井霊気療法学会

学会は臼井先生が霊気を始めた当初より作られた非常に歴史の古い組織です。続きを読む・・・[臼井霊気療法学会]

戦争への道

戦争のことはたぶん、レイキの書籍に記されているよりもはるかに重くのしかかっていたと思います。続きを読む・・・[戦争への道]

林忠治郎先生

林忠次郎先生(1879~1940)は神奈川県出身で、西洋への霊気の伝搬はこの林先生が、ある日系ハワイ人の女性を弟子として育てたことで起こりました。続きを読む・・・[林忠治郎先生]

西洋への伝搬

霊気をハワイへ伝え、その後全世界に広まるきっかけを作ったのはハワイの日系二世の高田はわよ先生でした。続きを読む・・・[西洋への伝搬]

 戦後

戦後の高田先生

高田先生が戦時中、そして戦後どのように霊気・レイキを行なっていたのかという記録はありませんが、続きを読む・・・[戦後の高田先生]

西洋レイキ

高田先生自信は伝統霊気を習得していたのに、お弟子さんに伝えていったレイキは多少味付けの違うものになっていました。続きを読む・・・[西洋レイキ]

高田先生の教え

では次に、高田先生→22人のマスターとレイキが伝わったときに、どのような技法が伝えられずにいって、どのような西洋レイキの要素が付け加わっていったのかを見て行きましょう。

病腺・ヒビキ:これはどうやら高田先生が弟子達に伝えなかったようです。その代わりに高田先生は今日で言うところの12ポジションを確立した様です。前出のJohn & Lourdes Grayでは病腺やヒビキのことは一切出てきません。逆に、John Grayはオーラやチャクラをスキャニングする方法を自分が開発した方法として紹介しています。John Grayは同時に高田先生がスタンダードポジションを確率したことを非常に高く評価していますので、病腺・ヒビキは全く知らなかったのではないかと思います。(実はレイキを本当に実践して、自分の感覚に正直になればヒビキの感覚は知らなくても得られるはずです。現に動物のレイキを専門にしているアメリカの本にはヒビキの感覚があることを記述しています。)

血液交換法:高田先生が自身のクライアントには血液交換法を施術していた事がJohn Grayの著書に書かれています。しかし、その手技がマッサージに近く米国の多くの州ではマッサージライセンスがないと施術できないために、John Grayは自身の生徒には教えていないとあります。その代わりに同様な効果が得られる「パターン」を教えているとありますが、それは今日の西洋レイキでは残っていません。

ハンドポジション:今日で言うところの、決まった部位にレイキを送って施術してゆくというのは高田先生が戦後ハワイで長期間にわたって施術の経験をして行く中で確立した様です。John Grayは林先生の作った療法指針を知っていましたが、様々な症状に対して似たような部位が出てきたり、一つの症状に多くの部位が出てきたり、なんて煩雑なのだろうという印象を持っていました。これは実は今日でもそうなんですが療法指針は多くの人が誤解をしています。病腺・ヒビキを知らない人はああいった療法指針をみると「その症状に対して指示されている部位を順番に全部レイキしていかないといけない」と理解します。しかしそれは誤解で、それらの部位はあくまでその症状の時にヒビキが出やすい部位としての意味なのです。John Grayはそのことを全く知らなかったので「なんて煩雑で複雑なのだろう」と勘違いしているわけです。だから高田先生がスタンダードポジションを確立したことをやたら高く評価しています。高田先生がヒビキを放棄してなぜスタンダードポジション一本に絞ったのかは謎です。高田先生自身は林先生の治療所で一年間インターンしていたのでヒビキは熟知していたはずなんですが・・・。

高田先生のスタンダードポジションは、お腹に4ポジション、頭に3ポジションが基本であとはクライアントによって補助ポジションを入れていました。これをベースにしたJohn Grayのハンドポジションは彼の本に丁寧に説明されています。今日、標準的に行われている形はまた、それ以降のレイキマスターによって作り出されてものです。

オーラー・チャクラ:高田先生はオーラやチャクラは教えませんでした。これはお弟子さんの代になってニューエージの手法や他のヒーリング法、アーユルベーダーなど他の要素から取り入れられたものです。

霊示法:霊示法は伝統霊気で教えられていましたが、高田先生は霊示法をBeth Grayなどの直感力の優れたごく一部の弟子にしか教えなかったようです。高田先生自身は1936年の日記の中に「Mr. Hayashi has granted to bestow on me... Leiji-ho - the utmost secret in the Energy Science」と書かれています。しかし、こういった直感テクニックは第1世代の弟子のあとは途絶えてしまいます。

乾浴・レイキシャワー:乾浴に関しては、高田先生は林先生から教わっていなかったと推定します。レイキシャワーには、伝統霊気で同じではないがそれらしい儀式があるとの情報もありますが、定かではありません。これは今後も調査してゆきます。

シンボル・アチューンメント:これに関してはここでは詳しく書きませんが、基本的には林先生のテクニックが伝わったようですが、アチューンメント法などは高田先生は厳密には同じ方法ではなく、直感でその都度変化があったようです。但し、伝統霊気の印・呪文から、西洋レイキのシンボル・マントラへ、どの段階で変化が起こったのは、未だに定かではありません。西洋レイキのシンボル・マントラという使用法は、実はかなり西洋的な発想が含まれているために、高田先生よりはお弟子さんたちがアレンジした可能性もかなりあるのではないかと私は考えていますが。

以上、どのような技法が伝えられ、伝えられなかったのかを見て行きましたが、高田先生の判断は当時のアメリカでレイキを広めるためにはおそらく必要な判断がされたのだと想像しますが、分らない部分もあります。

高田先生 VS 臼井霊気療法学会

歴史を調べて感じたことで、とても印象に残ったのは高田先生が伝統霊気を修正し普及させたことと、かたくなに伝統?を守る臼井霊気療法学会の対比でした。続きを読む・・・[高田先生 VS 臼井霊気療法学会]

日本の西洋レイキ

日本に最初に西洋レイキが逆輸入されたのは、ニューヨーク在住ジャーナリストでアメリカレイキ団体 Radiance Technique のレイキティーチャーの三井三重子氏でした。続きを読む・・・[日本の西洋レイキ]

レイキと霊気の統合・比較

アメリカで広まった高田先生を元にした西洋レイキは、少しづつ進化しながら世界中に広まってゆきました。しかし、その一方で伝統的な霊気がどのようなものであったのかという疑問は、続きを読む・・・[レイキと霊気の統合・比較]

もしも、上記の内容で、お手持ちの資料やご存じの史実と違うということがありましたら、ご指摘して頂けるとありがたいです。ただ、多くのというか、ほとんどの書籍は単に既存の本やネットの孫引きで、本当の歴史的資料ではありませんので、注意してください。霊気・レイキの歴史で、本当に自分の足を使って史実を確かめられているのは、今のところ Frank Petterさんと、土居裕先生だけだと思います。そのほかに、臼井霊気療法学会の作ったものが、いくつか流出しているのがあります。私も今は日常の業務が忙しすぎて、歴史を探索する時間がありませんが、いつかそういうことを是非やってみたいです。

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