セラピーの仕事をスタートしたのは、2003年からですから、この仕事も約20年とかなり長くなってしまいました。
以前は天文・宇宙の研究者でした。でも、どうしてこのレイキの道に入り込んだのでしょうか?
今までは、セラピストになる前のことはあまり書いてこなかったので、今回自由に書いてみました。そんなの興味ないよぉ~というかたは、読み飛ばしてしまって下さい(^^)
仁科まさき 連絡先:aroma-forest@messia.com
小さいときは人には全く興味が無く(笑)、自然とか虫とかばかりに目が行っていましたね。セミ、クワガタ、カブトムシ、カマキリ、バッタ、トンボ、蟻地獄、カエル、オタマジャクシ、ヤモリ、などなど捕って遊んでいました。虫取りしているときは、今考えればほんとにハッピーでしたね(笑)。家でも、猫を始め、インコ、モルモット、など飼っていましたね。犬は縁が無かったのですが、今考えてみると犬は人好きな方が飼うのではないかと思います。
その一方で物作りが好きで、図画や工作、家庭科も大好きでしたね。小学校高学年になると電気に興味が出てきて、半田ごて持ってラジオを作ったりしてました。家には万力を備えた自分の作業場があって、ギコギコ・トントンやっていました。小学校の時に、大人になったらなりたいものは、科学者、技術者や芸術家でした。
中学の友人が、望遠鏡を持っていて、天体を見せてくれたのがきっかけで、一気にアマチュア天文にハマりました(笑) 当初はお決まりの天体写真をやりましたが、そのうちもっと意味のある事がしたいと思うようになり(この辺が科学者になる素養があったのだと思います)、変光星の観測を始めました。一般の方は星は明るさが変わらないと考えていますが、実際には周期的に明るさが変わる星が沢山あります。それを目で明るさを測って報告するのですね。望遠鏡も自分で、鏡を磨いて、鏡筒や架台を作って自作して、それで観測していました。この時代にすでに、プロの天文家としての基盤が出来ていたようです。
そういう経緯があったので、本当は大学は天文学科に進みたかったのですが、当時は、一流の天文の勉強が出来るのは、東京大学か京都大学に入らなければ出来ませんでした。しかし、自分の学力は全然足りなかったので、気持ち的には萎えてしまっていました。それと同時に、星のことを勉強していったら、星の内部を理解するには結局は素粒子なんだと気が付きました。
湯川秀樹博士や朝永振一郎博士がノーベル賞をとった素粒子物理は非常におもしろい分野で、深遠で哲学的な側面もあり、高校生ながらも色々な本を読んでワクワクしました。それで、結局大学は自分が入れる物理学科へ行こうと決心したのでした。
大学は物理学科でしたが、とにかくよく勉強しましたね(笑) 勉強が好きというよりかは、物理が好きという感じでした。授業には満足できずに、自分達で自主ゼミナールという形で、先輩から色々教わりながら難しい本も読みこなしていきました。これも楽しい時代でしたね。頭もちゃんと働いていた時代です(笑)
昔から、企業で働くと言うことは微塵も考えていなかったので、大学院へ進みました。この時は大きな選択に迫られたのですが、希望しているA校の素粒子理論には受からず、A校は素粒子実験で受かりました。しかし、B校の素粒子理論には受かりました。実験とは大きな加速器を使って、高エネルギーの素粒子をぶつけてその性質を調べます。理論はもちろん数式をいじって、色々と分からないことを分かるように導き出していく、研究する対象は同様でも、やること自体は両者は全く異なるのです。なのでかなり迷いました。
今までの気持ちとしては、理論をやりたかったのですが、B校の素粒子理論へ行っても、博士になったあとで研究者として食べていけるか、かなり不明瞭でした。今でも昔でもオーバードクターといって、就職できない博士が沢山いますから。一方のA校は素粒子実験は、米国の研究所で世界最高のエネルギーを使って、実験が出来る研究としては非常に魅力的な環境でした。就職もB校の素粒子理論よりはずっと可能性があります。
で、結局はA校は素粒子実験へ進みました。物理学の実験は、研究者自らが手を動かして、実験装置を作っていくのですが、これに私が小さいことからやっていた物作りが大いに役に立ちました。エレクトロニクスの知識やシステム設計の力が、思う存分活かせました。これはあとで天文へ移籍したときも同様です。
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